和歌劇作品紹介

「高山右近」
脚本:菅沼 登
音楽:福原 真衣子・歌枕 直美
- あらすじ -

今から五百年あまり前、キリスト教と人間の英知を広めようと、ザビエルという若者が日本に渡ってきた。当時の日本には差別された人たちがいたが、ザビエルら宣教師(バテレン)が人間は分けへだてなく救済され得るというキリストの教えを説くと、そこから多くの信者が生まれた。それに対し仏教の僧侶たちは自らの権益を守るため、キリスト教を排除する様有力な大名に働きかけた。
当時都を治めていた松永霜台は、形だけでも討論によりキリスト教を打ち負かしてからバテレンを追放しようと、家臣の高山飛騨守(高山右近の父)に命じてバテレンと討論させた。
ところが、三日におよぶ討論の末、高山飛騨守はキリストの教えに感服・共鳴して即座にキリスト教徒になり、その庇護の下、バテレンたちは都に入って布教を始めた。尾張の国から身を興し京都を制した信長は、荒木村重を摂津の領主に任じ、高山飛騨守と右近は村重の家来として高槻城に入った。
ところが、村重は本願寺の側に寝返って信長と敵対し、更に右近の父・高山飛騨守も村重の側に着いたため、右近はキリスト教と信長への信義をとるか、父と村重への忠誠をとるかの決断を迫られた。苦悩の末、右近は武士を辞めてキリスト教信者として出家し全てを神・キリストに委ねる選択をした。
信長の跡を継いだ秀吉は、鉄砲を始め海外から伝わった新たな知識や技術を取り入れ、朝鮮に出兵して領地を広げようとしていたが、その考え方を否定した茶人・千利休に切腹を命じた。高山右近も、その能力が高すぎた故に秀吉から弾圧されて領地を失い加賀の前田家の許に移り住んだが、右近は茶の師匠であった千利休の考えを受け継ぎ、西洋の文化と日本の伝統を融合させるため茶の湯とキリスト教を広める活動を行った。
 

- 公演実績 -
2011年5月7日 うたまくら茶論
2011年6月11日 うたまくら茶論
2011年7月2日 うたまくら茶論
2011年9月17日 高槻カトリック教会
登録商標について:「和歌劇」は株式会社うたまくらの登録商標です。