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歌枕直美 友の会

うたまくら草子

「歌枕直美 友の会」の会報誌として活動情報を年3回にわたってお届けしているのが「うたまくら草子」です。本誌はライヴ情報を始め、会員の方々からのあたたかいメッセージ「たまゆら」や、ライブに携わっていただいたスタッフの声、また、毎回大変ご好評をいただいている「歌枕直美の心から語りたい」のコーナーでは、素敵なゲストの方と歌枕の対談がお楽しみいただけます。その中から「歌枕直美の心から語りたい」「たまゆら」「友の会 会員紹介」をお届けいたします。
 

たまゆら

85号 2024年1月

清水 千恵美「なんて神秘的な歌声なんだろう」

84号 2023年9月

松田 千鶴「 縁(えにし)」

83号 2023月5月

吉川 三枝「 運  命 」

82号 2023年1月

橋本 鶴樹浜松から大阪へ

81号 2022年9月

稲垣 光直うたまくらのテーマ」

一條 敏明「みやびうた~和歌劇~やまとうたの変遷を共に歩み(聴き)進んで」

80号 2022年5月

水野 修敬「万法、一に帰す」

79号 2022年1月

岡本 明美「深いご縁を感じて・・・」

78号 2021年9月

小森 真一・己 智子「たまゆら」と「シンクロニシティ」

76号 2021年1月

宮田 智亘「新しい世界」

75号 2020年8月

深井 明「つかず離れず」

74号 2020年5月

利根川 貞人「まれな出会い」

73号 2019年9月

桃原 泰子「やまとうたとの出逢いから」

72号 2019年9月

池田 待子「令和元年の万葉コンサート」

71号 2019年4月

岩本 弘子「DNAで感じるコンサート」

70号 2019年1月

上島 朱實「うたまくら草子の発行第七十号を祝して」

69号 2018年9月

金尾 信子「歌と朗読」

68号 2018年5月

奥山 悦男「越前市内で歌枕さんのコンサートを」

67号 2018年1月

成島 恵美子「万葉の世界に誘われて・・・」

66号 2017年10月

阿部 聡「神様からの贈り物」

65号 2016年5月

片山 彰「ドイツからのメッセージ」

64号 2013年1月

荒木 寛子 「 『やまとうた』に出会って・・・ 」

63号 2015年9月

原田 俊一 「子供たちや若い人たちに広めたい」

62号 2015年5月

南 比呂志 「 華やかなるうたとことば 」

61号 2015年1月

笹田 幸代 「素晴らしい出会いに感謝」

60号 2014年9月

荒木 治年・ひろ子 「 『竜田彦』と『紫の恋』 」

59号 2014年5月

友田 恭子 「 玉 響 」

58号 2014年1月

上島 朱實 「歌枕直美さんと歩む『友の会』」

57号 2013年9月

上島 秀友 「万葉の心、クラシックとの調和に感動」

56号 2013年5月

德弘 勝昭 「ドリーム カム ツルー」

55号 2013年1月

Włodzimierz Pastuszak 「新年特別版『たまゆら』」

54号 2012年9月

松田 千恵 「二上山遠望」

 
 
 

85号 2024.1.1
「 なんて神秘的な歌声なんだろう 」 浜松市 清水 千恵美

八年ほど前、わたしは初山宝林寺にお勤めするご縁をいただきました。その時は大変失礼ながら歌枕さんのことは存じ上げませんでした。「お寺でコンサート?」という疑問が先行して困惑するなか、「一人和歌劇」「万葉集」と???な私でしたが、舞台が始まるとその様な疑問は何処かに飛んでしまいました。初山宝林寺の佛殿の中で、仏像達がローソクの薄明りに照らされ、その空間を包み込むような歌声に、時空を超越したかのような錯覚に陥ったことを今でも鮮明に覚えています。

以来歌枕さんの公演案内がお寺に届くたびに、史実や古典を題材にした作品に心を躍らせ「うちのお寺では何をするのだろう」と楽しくお仕事をさせて頂いておりました。初山宝林寺を含む浜名湖湖北五山は、宗派・時代を超えた時間旅行をテーマにしています。正に歌枕さんの舞台はこの為にあるようだなと、住職がお寺にコンサートをお迎えする理由を垣間見たようで、「なるほど」と思えるようになってきました。

しかし、その中での大病の報。私は動揺を隠しきれませんでした。浜松にいる私には一日も早いご回復をお祈りするしかありませんでしたが、今日このように病を克服しご復帰されたことに僭越ながらお喜びを申し上げたいと心から思います。

来年は、初山宝林寺の住職が役員を務める京都宇治にある黄檗宗大本山萬福寺でもご公演のご予定があると聞いております。大本山でも歌枕さんの歌声が地域・宗派の垣根を超えて人々をうたまくらワールドに引き込むものと信じて疑いません。

今でも初山宝林寺の案内所ではうたまくらさんの「みをつくし」が流れています。今後とも益々のご活躍を、遠江の一角で陰ながら応援させて頂きます。

84号 2023.9.1
「 縁(えにし) 」 大阪市 松田 千鶴

私はうたまくら社で30年働かせて頂き、昨年10月に定年退職いたしました。

30年にわたり歌枕さんにご教授いただき、学び・経験させていただいたこと、様々な方々との出会いで肌で感じたことなどにより、今の私があることを深く感じ感謝しております。

また歌枕さんの公演活動の中で、歌枕直美友の会の上島名誉会長、竜門会長、池田浜松支部長をはじめとする会員の皆様に大変お世話になり、ご指導いただきましたこと深く感謝致しております。

歌枕さんがうたまくら創立当初より、「自分の生まれ育った土地や国の誇りを語れるようになりたい。」との思いを持たれ、試行錯誤の末「万葉集をうたう」ことにたどり着かれ、その記念すべき一作目「三輪山」が生まれた時の鳥肌が立つような感動を今も覚えています。

その後、菅沼登先生との運命的な出会により「和歌劇」「音絵巻」「歌と語りの舞台劇」と、様々なことを乗り越えながら止まること無く歴史物語作品を生み出し続けられ27年。

いつも新しく感じます

私は大阪で生まれ、子供の頃から奈良・京都の神社仏閣をめぐり日本らしい雰囲気が好きでしたが、伝統や風習、歴史的なことなど深く考えたことがありませんでした。

歌枕さんの公演活動に携わらせていただく中で、その揺るがない信念と精神が込められた作品・公演により、凡人の私には書物などからでは感じることのできなかったことが自然に浸透し、日本人である誇りが自分の中に生まれてきました

また海外公演に同行させていただいた時のことですが、現地で初めて出会った方が歌枕さんの歌を聴かれると、国も言語も世代も性別も立場も越えて一気に心が繋がる瞬間を何度も肌で感じました。

歌枕さんの音楽は、耳で聴くでなく、心で聴く・響く音楽だといつも思います。

歌枕さんが音楽指導をされている時に、「演奏にはその人自身が出る」とも話されていましたが、歌枕さんの演奏・声は、まさにその通りで、声の響きに包まれ歌枕さんの心を感じ、聴き手の心を揺さぶるのだろうと思います。

歌枕直美友の会の諸先輩方と共に、歌枕さんの活動をこれからも応援して行きたいと思います。

どうぞよろしくお願い致します。

83号 2023.5.1
「運  命」 大阪市 吉川 三枝

私は二〇一七年の二月から歌のレッスンに通わせていただいています。

演劇が好きで、若い頃には劇団に所属し、舞台やテレビの再現映像などで出演したりもしていました。

現在は介護福祉士として特別養護老人ホームで仕事をしており、同じ職場に歌枕直美音楽教室の講師である妹尾さんがいらっしゃり、教室にお声をかけてくださいました。

レッスン初めの頃より、日本語をきれいに発声する練習として「やまとうた」を歌っていました。

学生時代は古典は苦手ということもあり、万葉集の和歌の言葉が難しかったのですが、歌っているうちに日本人のDNAに刻まれたものが呼び起されるような感じで、海外のミュージカルの曲を歌う時とは違う初めて触れるもので、とても心地良いものになりました。

歌枕先生のコンサートにも参加させていただくようになり、無名舎での音絵巻のコンサートは音楽・ストーリー・映像が相まってお話の世界観に浸れ、とても好きです。

また昨年の十月にあった三十周年を記念する無名舎でのコンサートは、歌枕先生の長いお付き合いの方、それも三十年以上の方々が多くお集まりになられ、その人間関係の深さに驚きました。

この少人数制のコンサートで、お一方ずつのエピソード、お付き合いの年数がどなたも長く、この会に参加させていただけて、とても光栄に思いました。

お食事の際の器も、加藤先生が手で一つ一つ作られていると伺い、手作りの器の温もりを感じました。

食事というものは、美味しさを味わうだけでなく見た目でもご飯を食べているのだと初めて感じました。

歌枕先生のレッスンを受講させていただいて、毎回、着眼点が素晴らしく、その時に感覚をつかむのが難しいことがあってもだんだんと理解でき、体になじんできます。

またテクニック的な部分の指導だけでなく、表現、心情的なところもご指導いただき、どんどんと声が伸びやかになっていることを体感しています。

それにより自分自身の歌うことだけなく、人間としても幅が広がりました。

歌枕先生との出会いは運命であったと信じじています。

これからもどこまでもついていきます!

82号 2023.1.1
「浜松から大阪へ」 静岡県浜松市 橋本鶴樹

今から十年ほど前になりますが、地元の新聞で歌枕さんの記事を見つけました。

具体的にどのような事が書かれていたのかはよく覚えていませんが、たぶんお寺でコンサートを開催するという所に興味を持ったのだと思います。

コンサート当日、会場である本堂に入ると大勢のお客さんが時を待っており、こんなにお客さんが来るなんてすごいなあと思ったのを覚えています。

初めて見る歌枕さんはとても綺麗でお寺にドレス姿という画期的な姿がとても印象的で、コンサート自体もとても素晴らしく非常に感動いたしました。

その時に買ったCD「言の葉」を家に帰ってから何度も繰り返し聞いては余韻に慕っておりました。

そして一日では飽き足らず翌日も又コンサートに出掛けることになるのでした。

後に「言の葉」の楽譜を購入いたしまして、趣味で習っていたフルートで時々演奏したりもしていました。

いつの日か歌枕さんの後ろで演奏するのを夢に見ていたのですが、仕事の関係でしばらくの間練習ができなくなりました。つい

先日久し振りにフルートを吹いてみると、指の運びを忘れてしまっておりまして、あわてて練習を再開した所でございます。

浜松では年に一回の歌枕さんのコンサートですが、以前から一度でいいから大阪に行ってみたいとの思いから今年令和四年ですが六月に思いきって行ってみることにしました。

月に一回開催される「茶論やまとうたコンサート」ですが、大阪吹田市の雰囲気はとても良く、会場に来ていた他のお客さんもとても良い人ばかりでとても楽しく幸せな気分になりました。

浜松でもそうですが歌枕さんの周りにはとても良い人ばかり集まっておりまして、端から見ているだけでも幸せになります。その様な人々の仲間に入れていただいてとても感謝しています。

この様な縁を作ってくださった歌枕さんに深く感謝いたします。

81号 2022.9.1
「うたまくらのテーマ」 兵庫県 稲垣光直

歌枕さんとの出会いは、ファーストアルバム「みやびうた」をリリースされた直後、知り合いのデザイナーさんに紹介され、セカンドアルバム「明日香風」より印刷業として関わらせていただいた事が始まりでした。

それまでの仕事では音楽との関わりはあまり無かったのですが、個人的には、子供の頃よりギターを習っていたのでクラシック音楽、特にバロック時代の楽曲が好きでした。また大学の時には詩吟を通じて漢詩などの古典にも触れていたため、歌枕さんの活動にとても興味をもちました。

けれど初めお話を伺った時には、「和歌を歌うって…?」想像がつきませんでした。実際に歌枕さんの演奏を聴かせて頂いて、五七五七七の限られた文字がメロディーに乗せられ、歌枕さんが歌われた世界はとても印象的で衝撃を受けました。それからは車の中でCDを聴いたりしています。

またコンサートでの歌枕さんは、我々一般人とは別世界の人で、その歌声と空気感にいつも感動します。中でも、初めて「うたまくらのテーマ」を聴いた時には、歌枕さんの声にゾクゾクし、琴線に触れるというのはこういうことだと思いました。今でも一番好きな曲です。先日の京都・無名舎公演でも聴かせていただいて、とても嬉しかったです。

歌枕さんとの出会いから二十五年。節目節目で、その時々の出会いがあり、振り返ってみたら定められていたのかと思うことがあります。歌枕さんと長いお付き合いをさせていただき、不思議なご縁を感じます。

この二十五年、歌枕さんは万葉集を歌うというあたらしい試み「みやびうた」からはじまり、「やまとうた」「和歌劇」「音絵巻」と、継続することに加えて出会いや経験を踏まえて新しい展開をされておられます。また、六年前に病で倒れられるも、その後見事に復活され益々進化をされていること、本当に素晴らしいことだと思います。

人生一度ですから、未来を見て楽しみながら、これからも歩んで行かれることと確信しております。

 

「みやびうた~和歌劇~やまとうたの変遷を共に歩み(聴き)進んで」                      埼玉県 一條 敏明

五月二十一日の浜松 初山宝林寺「うるわしき人ー高山右近」公演では、近くの林からうぐいすの啼く声が聴こえ、そのフィナーレに華を添えました。

言語歴史学者でも無いので、細かな所は良くは、解らないのですが…、

関東の湿地帯を徳川幕府が開いてから四百年余り、日本中の人々が集まり、各地の言葉、発音はまちまち…、江戸言葉…つまり発音の統一が江戸の文化の熟成と共に自然と進んでいった。関東人の自分は、やまとことばは、五十音、いろはにほへと…発音が明治以降、標準とされて学校教育から早百年…。関西では言葉も文化としての熟成があり、関東とは意識の違いによる隔たりが…。

橋と箸の違いはお笑いのネタにもなりますが、実はもっと細やかであり、例えば…、

いえ いへ  家 癒え 言へ

いえ+じ  家路(いえぢ)  癒えじ 言へじ

あわじ  淡路(あわぢ) 合わじ 会はじ

じ ぢ→  アルファベットで表記すると… Zi    Dhi …⁉︎ Ji   Gi

少なくとも二種よりも多い発音が、その唄に聞かれました。

言葉の末尾の発音が、どうも関東人は一音単色になってしまう様で、鈍色(にび色)が使えない。 

静岡位西の方は、お と を O     と Wo を、自然と会話の中に使い分けています。

関東生まれの自分には、これらの例は簡単な誰でも出来る一通りの発音しか出来ません。歌枕さんとの出会いは、うたまくら社七周年記念の時に大阪倶楽部で会い、初めて吹田の地に足を踏んで以来ですが、みやびうた~和歌劇~やまとうたへの経歴を辿ってゆくうちに、この言葉の響きの使い分けを、当たり前の様に自然と歌枕さんはされている事に気付きました。

「まんよう」「やまとうた」は、関東では無く関西、静岡位西の間違いない言葉の文化であると…しみじみと、それを感じながら聴かせていただきました。…と書きましたが、実は歌枕さんは歌詞の無いボカリーズも魅力的ですよ! 

母音の発音も単色では無いので!︎

是非その多様な声を、お聴きになって頂けたらと思います。

80号 2022.5.1
「万法、一に帰す」   神奈川県 水野 修敬

「うたまくら社創立三十周年、やまとうた二十五周年、おめでとうございます。

私は、平成十八年から平成二十四年の約六年間、ピアノ技術者としてうたまくら社に在籍させていただいておりました。今から十六年前、調律師の専門学校から新卒で入社しましたので、当時は二十歳でした。何も知らない私に、歌枕さんをはじめ会社の方々は懇切丁寧に仕事を教えてくださいました。また、友の会会員の皆様の中には在職中にお世話になった方々も居られる事と存じます。改めまして御礼申し上げます。

早いもので退社してから十一年が経ち、この度「たまゆら」に寄稿させていただくにあたっては大変感慨深く、また恐縮な事と存じております。退職後は神奈川県にある禅寺で、坐禅や托鉢等の修行をしまして、現在は引続き同寺の寺務所に勤めて三年になります。

さて、表題の「万法、一に帰す」という言葉でございますが、これは私が禅の世界に入門したての頃に、専門道場で教わった言葉です。

「万法」とは森羅万象、数字や個性の違いのある現実世界の事です。そこから「一」という、すっきりとした純粋な本来の所に立ち返るという意味です。

この「万法、一に帰す」は、私にとって歌枕さんを思い起させる言葉でもあります。

禅寺に勤めていながらも、日常ではあれこれ余計な事を考え、周囲への配慮や感謝の気持ちを忘れてしまい、失敗をして悩んでしまう事もあります。これは「万法」のなかに身を置きながら、本来の自己を見失い、迷っている状態です。

その様な時、歌枕さんならどの様にされるだろうかと思うと、「一」に立ち返ることができるのです。芸術家として揺るぎない意思をお持ちでありながら、周囲へのお心配りを大事にされ、過去ではなく常に新しい「今」を生きられるお姿を思い起こしては、自分もしっかりしなくてはならないと思い、前向きな力が沸いてきます。

そして当時の社員の方々にも本当にお世話になり、沢山の記憶がございます。日々忙しく、皆遅い時間まで職場に居ながらも、上席の方々は丁寧な言葉遣いで接してくださり、真面目で爽やかな職場でした。うたまくら社で研鑽を摘ませていただいたことは、私の何よりの宝物です。

末筆になりますが、うたまくら社の益々のご発展と、コロナ禍の折、会員の皆様のご安泰を祈念申し上げます。

 

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79号 2022.1.1
「深いご縁を感じて・・・」   千葉県 岡本 明美

「やまとうた二十五周年」おめでとうございます。流れた月日が、長くもあり、短くも感じます。

歌枕さんとの出会いは、CD「みやびうた」が発売された翌年、「明日香風」CDのジャケットの絵を描かれた山下和さんのご紹介からでした。初めて吹田の茶論にお伺いし、万葉集をピアノの弾き語りで聴かせて頂いた時、初めて聴く音色に、なんて斬新な音なんだろうと引き込まれ、心躍り感動しました。

その時に歌枕さんより、「岡本さんは衣装のデザインができるのでは?」とお声掛けいただきました。それまでメイクの仕事をしており、衣装デザインにも興味はありましたが、経験はありませんでした。歌枕さんに内在するものを引き出していただき、それをきっかけに二十数年、歌枕さんの衣装のデザインに関わらせていただいています。新しい作品の音源を聴いたら、すぐにインスピレーションが湧く時と、なかなか形になら無い時と、私の力不足を感じながらも、歌枕さんのパワーに圧倒されながらも、必死に表現されたい事を、どう形にするのか?をイメージして制作していきました。

奈良を初めとし、浜松や海外公演にお供させて頂く中で、歴史や、伝統の重みを感じる機会を持たせて頂き、また海外の方の感動されている姿を目の当たりにして、感慨深いものがありました。

またその傍ら、経営者としての判断力や、人との関わりはとても繊細でいつも全力で取り組まれている姿に、頭が下がります。

そして五年ほど前に病に倒れられた後も、回復力は人並み外れていましたが、その裏のご努力は不安との闘いで大変なものだったと思います。

古典を謳う他には見れない形での活動をされて二十五年。益々、精力的にそして日本の伝統を未来に繋いでいかれる事に、少しでもお力添え出来たら幸いです。きっと遥か昔からの深いご縁があったんだろうと感じて、いつも感謝いたしております。

 

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78号 2021.9.1
「たまゆら」と「シンクロニシティ」   大阪府大阪市 小森 信一・己智子

名誉会長の上島朱實さまのお誘いで、コンサートと茶論に参加し、この三月に入会しました私小森真一と妻の己智子です。「たまゆら」という会報の名前に先ずびっくりしました。たまゆらについての私どもの体験を少し書かせていただきます。

今から十年ほど前、私たち二人は奈良吉野にある金峯山寺蔵王堂で行われた片岡仁左衛門の奉納歌舞伎を鑑賞しました。野外での夜の公演でしたが、終演後、デジカメで蔵王堂を写したところ、肉眼では何も見えなかったオーブが無数に写っていました。たまゆら、スピリチュアルではオーブと言いますが、画面におびただしい数の丸いオーブが写っていて、二人でこれは何だとびっくりしたことを鮮明に覚えています。

翌朝、金峯山寺の水垢離場近くの脳天神社で偶々会った地元の人から、その人は大峰奥駆けを二度したそうですが、是非三輪にある大神神社に行くよう告げられました。帰路、大神神社に立ち寄ったところ、最初に出迎えてくれたのが一匹の白い蛇でした。夕方には二匹の雲龍が空にあるのを見ました。

それ以降、神社仏閣ではよくオーブが写るようになりました。(これを埃や光の乱反射だと言う人もいますが。)

「シンクロニシティ」とはユングの言葉ですが、個人的解釈としては――①このタイミングで何でこんな事が起きるのか、②このタイミングでなぜこの人に出逢うのか、③このタイミングでどうしてこの話題が出るのか――こういう偶然の必然が最近とみに多くなりました。

歌枕さまにお遇いできたのもシンクロニシティです。私は世界三大ピアノの一つであるベヒシュタインを以前から聴いてみたいと願っていました。それがなんと六月二十日のコンサートで色々な方に沢山弾いていただき、そしてラストで私の大好きなメリー・ウィドウの中の「唇は黙っていても」を歌枕さまにドイツ語で歌っていただき、感激で涙がこぼれそうになりました。

歌枕さま、会の皆さま、温かく迎え入れてくださり、本当にありがとうございました。神様、ありがとうございました。神様はなんてお茶目なんでしょう。神のはからいに偶然などありませんね。すべて必然です。妻がおよそ音楽と関係のない大塩平八郎の研究会で上島さまにお会いしたのも、私が脳梗塞で倒れたのも、すべて今日につながる必然でした。

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76号 2021.1.1
「新しい世界」   大阪府豊中市 宮田 智亘

歌枕先生とはじめてお会いしたのは、平成二十五年の末、当時同じ職場にいらした妹尾さんのお誘いで、うたまくら茶論コンサートにお伺いした時でした。どんな所なのか、なにがはじまるのかと期待と不安でいっぱいでしたが、歌枕さんは、とても優しく、気さくな方で、お一方お一方に丁寧に話しかけられていたのが印象的で、今も覚えています。

以降、歌枕先生のコンサートをたくさん聴かせていただき、やまとうたや和歌劇、音絵巻での和歌の世界をたくさん楽しませていただきました。日常の中にあふれている海外文化では感じられない日本文化独特の雰囲気を感じて大変興味を持ちました。今までまったく知らなかった新しい世界でした。また公演では、歌、衣装、映像で、当時の時代を物語っておられ、その世界に引き込まれていきます。多種多様な物語、曲があり、いつも大変素晴らしいと感じています。特に、昨年の、橿原神宮でのコンサートで、令和にまつわる物語も大変感動しました。万葉集、古事記を学校で習った時には気がつかなかった奥深い想いがあり、本当に学ぶこと、発見することが多くあります。

私は奈良県出身で二上山をみて育ちましたので、やまとうたの「悲歌~二上山によす~」が特に好きです。この歌から大伯皇女と大津皇子の姉弟の話を知り、二上山を見る想いが変わりました。また身近に藤原京や吉野など和歌に詠まれている場所がたくさんありますが、歌枕先生の音楽に出会ってから訪れてみると、ここに都があって人が行き交っている当時の情景が浮かんできます。より知らない世界を見てみたいという思いが深まってきました。

今年の秋の音絵巻「うつそみの人」公演には残念ながら参加することができませんでしたが、来年五月に京都と静岡で再演されると伺い、その時には是非聴かせて頂きたいと、心待ちにしております。

 

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75号 2020.8.1
「つかず離れず」   静岡県静岡市 深井 明

僕と「うたまくら」との関係を一言で表すと「つかず離れず」。初めての出会いは今から22~23年前、インターネットで外国製のピアノ展示・販売・音楽教室「うたまくら」を見つけてお伺いし、歌枕先生に初めてお会いしました。

ベヒシュタインや、グロトリアンといった初めて聞くメーカーのピアノに触れることができました。

その後、僕はうたまくら友の会の会員になり、年に1~3回程度、茶論コンサートに参加し、歌枕先生のおいしい創作料理をいただきながら、様々な個性の音楽好きの方と話したりみんなで歌を歌ったり楽しみました。今の妻と出会って間もない頃、歌枕先生の巧みな話術に乗せられてウエストサイド物語のマリアの歌の歌詞を妻の名前で恥ずかしいながらも歌ったことを覚えています。その後、無事結婚して母と娘(当時4歳)を連れての茶論参加も果たしました。

あるとき、会報にて歌枕先生が大病で入院されたことを知り、心配していましたが、数か月後の会報で先生が退院されリハビリを頑張っておられると知り安堵しました。復帰を兼ねた久々の茶論コンサートに参加し、若干声量は弱いもののほぼ以前の調子に戻られた先生のお姿と、一時期は危篤状態だったにもかかわらず尋常でない努力によりここまで回復したというお話を伺い、神々しく感じたことを覚えています。

僕は現在静岡県に赴任しており、ますますうたまくらから遠ざかってしまいましたが、昨年ラッキーにも浜松での「やまとうたコンサート」に参加させていただきました。赤人さんの狂言回しも相まって千二百年前にタイムスリップした雰囲気を感じているうちにあっという間に終了しました。終了後の打ち上げにも参加させていただき、皆さんと楽しいひと時を過ごしたのがつい先日のことのようです。皆さんとお会いするたびに、社員と同様に接してくれ、温かい気持ちになります。今はコロナ禍により大変な状況にあることと思いますが、歌枕先生の自由な発想と皆さんの結束力で必ずや乗り越えられると信じています。いつか再びイベントに参加させていただきたく願っております。

 

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74号 2020.5.15
「まれな出会い」   静岡県浜松市在住 利根川 貞人

「初めて歌枕さんの素晴らしい和歌劇に触れたのは、忘れもしない二〇〇八年の『宗良親王』。当時私は十五年住んだ伊豆から故郷の浜松に帰ったばかりで、伊豆で郷土史好きだった私は休日は歴史的なものを求めてドライブ三昧だったのに、浜松に戻ってきたらそれが全く無くなってしまった。

慌てて「田村麻呂」「蒲冠者」「宗良親王」「徳川家康」にまとを絞りいろいろ調べ始めたところに、たまたま新しい勤務先の温泉旅館に井伊谷宮の方が「こんなのがあります」と和歌劇のチラシを持ってきてくださって、興味をいだき伺うことに。地元の方の地域おこしの活動かと思ったら、関西の方だと知ってびっくり。

その日から私は歌枕さんの歌声に、心から魅了されることになったのでした。

今も私はかの親王の魅力の虜なのですが、恥ずかしがり屋で自分から積極的に好きな方と交わることがあまりできない性格の私に、歌枕さんは「宗良親王の人」といって笑って語りかけて下さいます。やはり珍しいのか。調子に乗って幾度か打ち上げの場にも参加させて貰いました。最初は「私がこの場にいてもいいのか」と思うのですが、あまりに心地がよいのでそのうちどうでも良くなります。

歌枕さんの歌のすばらしいと思うのは、一度聴いて歌詞を読んだらもうこのメロディー以外しっくりするものがなくなること。これは歌枕さんの友の会の懐の深い心地よさと通じるものがあるのでしょうか。歌枕さんが浜松と深い関わりを持ってくださったことに感謝を覚えます。

今一番切望していること。『宗良親王』をもう一度聴きたいです。五年ぐらいはずっと宗良親王の旋律は印象深く私の胸にあったのですが、さすがにもう歌枕さんの他の歌に上書きされてしまった。

現在の混乱が早く解消し、盛んな活動が浜松にも戻ってくることを期待します。

 

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73号 2020.1.1
「やまとうたとの出逢いから」   沖縄県中頭郡村読谷村 桃原 泰子

私は二十年前に何かに導かれるように沖縄へ渡り、今も暮らしています。

そんな私が「やまとうた」と出逢ったのは息子の出産のため、大阪へ帰った時のことでした。

新しく始まる母親としての人生を想像すると、期待もありましたが緊張の方が勝っていました。そんな私を気遣って姉が伝えてくれたのが『月の舟』だったのです。

耳に流れてくる歌声、音、言葉は、私の細胞一つ一つに染み渡りすべての感情を優しく包んでくれました。そのおかげでそれまでの緊張は和らぎ、心の中に安らぎが芽生えました。

長い間離れて暮らしていた家族とお腹の子供に向けて、幸せな気持ちを共に分かち合うことができました。この時間は私にとってかけがえのない貴重なものとなり、今も心の支えになっています。

先日、歌枕先生ご一行が沖縄へ来てくださいました。沖縄の歴史に触れ、伝統文化の組踊などを一緒に観ました。感動あり笑いありの素敵な時間を共にさせていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。その時に改めて沖縄が遠い昔は異国だったと学びました。そして私の中に日本人としての心がしっかりあることも感じました。沖縄には二十年ほど住んでいますが、いまだに日常の中で新しい発見が多くあります。それは国民性の違いからなのかもしれませんね。

「やまとうた」との出会いは私の中にある日本人の心との再会だったように思います。姉から私に伝えられた「やまとうた」を今度は息子へ伝えていきたいと思います。そして息子がどう感じていくのかとても楽しみです。「やまとうた」との出会いは私たち家族にとって温かく優しい光を与えてくれる存在です。

(桃原さんのお姉さんは、「やまとうたを歌う会」会長の竜門陽子さんです。)

 

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72号 2019.9.1
「令和元年の万葉コンサート」 歌枕直美友の会 静岡県浜松市 池田 待子

歌枕さんの万葉集との出会いは、主人の友人であり、友の会会員の奥山悦男さんが、私に熱心に「みやびうた」「あさね髪」「明日香風」「カエリー」など次々に解説文と共に送って下さいました。そして私はすっかり、現代の万葉集の表現者、歌枕さんの声に、そして曲に魅了されてしまいました。二〇〇二年のことで奥山さんの歌枕さんの魅力を伝えたいという強い思いがあったからこそ、伝わったのだと思い、奥山さんに感謝です。

それからは私も、歌枕さんを知らない方々に伝える側になっていきました。浜松でのコンサートの時の出会いもあり、浜松の友の会の仲間とずっとコンサートの応援をしてまいりました。

そして今年、新元号が「令和」となり発表された時、「万葉集」に由来したものだと知り、とても嬉しい持ちになりました。今年は「万葉集」が注目される絶好の年になり、多くの方々に知っていただく良い機会が巡って来ました。会員の皆様、どうぞ今までお伝え出来なかった方々へお知らせください。私が最初に受けた感動を、未だ知らない方々に味わっていただけたらと思います。きっと日本人のDNAを呼び覚まされることでしょう。

ニュースでいつも米国トランプ大統領の、過激な言動が耳に入りますが、万葉集の人を思う言葉を知ってもらいたいものです。そうしたら世界の外交も、もっと上手くいくのではないかとも思いました。

三年前に病に倒れた歌枕さんが、懸命のリハビリで本当に良く回復されて、私達に伸びやかな歌声を聴かせてくださっています。病に倒れ再起された歌枕さんだから出来る、深い表現力に期待しています。お体には十分気をつけられて、息の長い活動で多くの方々を魅了し続けて下さい。

 

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71号 2019.4.1
「DNAで感じるコンサート」 歌枕直美友の会 大阪府高槻市 岩本 弘子

会社のOB会に参加し五十二年ぶりに同僚の伊藤さんにお会いしましたら、大変良いお声をなさっているので、何かなさっているのですか?とお尋ねしますと、声楽を習っていますとのお話でした。伊藤さんの先生が枚岡神社で公演を開催されるということで、「アメワカミコ」の公演に行かせていただいたのが、歌枕さんとの出会いでした。古事記や万葉集にあまりふれたことがなかったので難しくなじみにくいのではないかと思いましたが、日本人だからDNAで感じるのか、とても懐かしい感じで、情景が浮かび、心に余韻が残る公演でした。また公演の後、歌枕さんがお客様のお見送りをされていらっしゃり、私にもお声をかけて下さいました。私の思う声楽家のイメージとはまったく別で、おおらかでふわっとした、とびこんでいけるような雰囲気をお持ちで、一気にファンになりました。そして、昨年の京都・無名舎での「敦盛」の時には、男意気というのを感じて、身体が震え涙が出ました。歌枕さんの公演は、個々に語りかけてくださるようで、心が和み、また心にくっと来るものがあり感動します。その上、本名とお伺いし、歌枕さんはこの活動をするために、生まれてこられたのだなと本当に思います。また茶論コンサートでは、お食事も魅力的で、旬の物を取り入れられたお料理、器、盛りつけから季節の移ろいを感じます。三月の時の貝の器には感動しました。ひとつのことに秀でる人はすべてに秀でているのだなと、歌枕さんをみて思います。食というのは心を潤してくれますね。歌枕さんのコンサートを、もっと若いお方にも浸透して行ってほしいと思います。

 

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70号 2019.1.1
「うたまくら草子の発行第七十号を祝して」 歌枕直美友の会 名誉会長 上島 朱實

「うたまくら草子」発行から丁度節目に当る第七十号を上梓されお目出度うございます。

「うたまくら草子」というお洒落な名前、美しく内容が充実しており、うたまくらの優れた企画力でここまで号を重ねてこられました。毎回歌枕さんが対談される方々は多才で個性的、人生の達人であられます。お話される事柄は含蓄に富み心に響いてきます。「うたまくら草子」が届くと、今回はどんなお客様が登場されるか楽しみであり、コンサート情報やファンになって下さった方々のお心の籠った寄稿が暖かいです。

二十二年前に万葉歌を聴いてから歌と歌枕さんに魅かれて各地のコンサートに行くようになりました。今迄に行った折々のコンサートが走馬燈の如く浮んできます。そして歌枕さんの歌の表現は広がってゆきました。壮大な曲、情念の曲、軽やかな曲、愛らしい曲、蠱惑的な曲と歌枕さんの活動は次第に知られるようになり新聞やラジオからの取材も多くなっていく中、菅沼先生が現れました。菅沼先生が持参されたのは自作の「額田女王」という物語でした。

ここから歌枕さんと菅沼先生は和歌劇という始めての創作劇を生み出してゆきます。歌枕さんにとって「額田女王」は出発点となった記念すべき和歌劇です。

やがて外国公演の依頼も増え、何度も出かけて日本の文化力を伝えられとても好評でした。

そんな活動の最中に突然歌枕さんを病気が襲いました。その間の苦悩はいかばかりだったことでしょう。しかし強い意志と責任感、又多くの人に支えられ見事に復活を遂げられました。活動は再開され、特に歴史ある建物で歌枕さんが語り歌う演目は会場と一体となりより魅力を増して常に感動の渦に包まれております。

先日の堺能楽会館でのやまとうたコンサートの「仁徳天皇によせて」では、近くに悠久の時を刻んで静まる仁徳天皇陵があり、世界遺産登録を目指しており、正に時宜に適った演目でした。

最近読んだ本ですが、画家ロセッティ描くギリシャ神話の「春の女神」のモデルは学もない下層のジェインという娘、しかし生まれ持った知性と魅力で大資産家にして卓越したデザイナー、ウィリアム・モリスのハートを射止め、十九才で彼の妻の座に収まる、以後彼の教育で洗練された物腰と会話術を獲得、完璧な美女と讃えられたそうです。映画「マイ・フェア・レディ」を彷彿とさせます。以前にテレビ番組の「ウィリアム・モリスの世界」で全編に流れた歌枕さんの美しいスキャットを懐かしく想い出しました。

これからも「うたまくら草子」が魅力満載の紙面で発行されてゆきますように。そして「うたまくら」が益々発展されますよう心より願っております。

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69号 2018.9.1
「歌と朗読」 大阪府豊中市 金尾 信子

私が歌枕さんの歌を初めて聞いたのは、歌枕さんのお母様の喜寿のお祝いのコンサートでした。綿業会館の素敵なホールでお母様の歌の伴奏をされたり、ご一緒に歌われたり、和やかな雰囲気の中に澄んだ歌声が響きました。

お母様の藪岡美佐江さんは、私の朗読の先生で、そのコンサート後すぐに「私も歌を習ってみたい」とお願いしたのです。それから五年ほどになります。練習を全くせずに教室に行くという不真面目な生徒ですが、担当の歌枕直美友の会事務局長でもある岩城先生は優しく迎え入れてくださいます。

継続は力なりと申しますが、正に少しずつ声が出るようになってきました。

朗読の声の出し方と歌の声の出し方は違いますが、共通することがあります。それは、お客様に声を届ける、言葉や心を声で表現するということです。万葉集や古事記に綴られた和歌、日本人の昔からの心は、今の時代にあっても決して色褪せることなく感じることができます。西洋の歌曲では言葉の意味がわからずピンとこないのですが、やまとうたは日本の言葉ですから、その意味や心が理解できます。万葉集などの和歌を音楽に乗せて表現する歌枕さんの世界に、いにしえの人々の心を感じることができるのです。

先日の五月の茶論コンサートのお稽古で歌枕先生のレッスンを受けました。曲の紹介を歌う前にするのですが、先生からは「言葉をしっかり前に出して伝えてください。」とアドバイスをいただきました。それは、朗読する時に私が気をつけていることであります。

毎回の歌のお稽古で一時間歌った後は、いつも気持ちがすっきり晴やかになります。忙しい時もお稽古に行って良かったと思えます。

欲を言えば、毎日少しでも声を出して歌うこと、練習する努力をしてもう少し上手く歌えるようになりたいです。きっとそれが朗読をする上でもプラスになることだと思います。

これからもどうぞ宜しくお願いいたします。

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68号 2018.5.10
「越前市内で歌枕さんのコンサートを」 福井県越前市 奥山 悦男

歌枕さんとの出会いは、平成五年の秋吹田メイシアターで開催されたコンサートでした。その時アンコールで「垂水の歌」を聴き感激しました。元々、万葉集が好きでしたので、歌枕さんの世界の虜になり、関西のいろんな会場やうたまくら茶論でのコンサートに行きました。その後、六十歳で定年退職した翌年、平成二十三年に吹田市から故郷の福井県越前市の実家へ引越しました。かつて越前市の東部・味真野地区に流刑された中臣宅守と奈良の狭野弟上娘子が交わした相聞歌六十三首が万葉集巻十五に残されています。それを記念して味真野地区に万葉館があります。引越した頃、その万葉館で歌枕さんの万葉集CDをBGMとして流すことを館長に提案しましたが、却下されました。(理由は、そのCDを流すと見学者がCD音楽に気を取られ、展示物に集中出来なくなるからとの事でした。)その館長が昨年七十歳で退職され、後任として三十歳代前半の若い女性が新館長に就任されました。早速、その館長へ歌枕さんの万葉集CD全てを持って挨拶に行きました。新館長曰く「歌枕さんの歌はこの万葉館の雰囲気に合っています。歌枕さんのCDをBGMで流しています。お客様はBGMを聞きながら展示物を見ておられます。」福井県の片田舎で歌枕さんのCDが絶えず流れている場所があります。そのCDのBGMを聞きながら、中臣宅守と狭野弟上娘子が交わした相聞歌六十三首の世界に浸ってみませんか。私のこれからの人生の目標は、越前市内で歌枕さんのコンサートを開くことですが、今は越前市内の万葉講座に顔を出し、歌枕さんの名前とCDを紹介し、コンサートに聞きに来られる人を増やすことにひたすら勤めています。

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67号 2018.1.1
「万葉の世界に誘われて・・・」 浜松市 成島 恵美子

はじめて歌枕さんのコンサートに参加したのは平成二十二年九月、浜松の初山宝林寺での公演でした。私に紹介していただいた方は、ヨガ教室でお世話になっている方で「貴方ならきっと、興味あるだろうから」と私を誘ってくれたのです。私が歴史好きで、地元の史跡に興味をもっていたことを知っていたからです。誘われた時は、軽い気持ちでしたが、何回か聴くうち、「古事記うたものがたり」を聴いてから、大変興味を持ちました。それは、なかなか読みがたい古事記の世界を、こうしたかたちで表現してくれているということと、歌枕さんが本名だということ、ご住所が大和の国に近く詳しいことであるなどで、関西には妹がいるのですが、地理に疎いので、古事記にちなんだ史跡をお聞きできるのではないかと考え、直ぐにも飛んで行きたい気持ちになりました。うたまくら茶論での様子も和やかそうで、ちょっとお邪魔してみたい雰囲気でした。そんな気持ちが通じたようで、昨年は宝林寺で心からのお持て成しをいただき、とても楽しいひと時を過ごさせていただきありがとうございました。その後大変なことになってしまったことはつい最近知ったところでした。昨年、だいぶ無理をなされたのではなかったかと察します。その後、復帰のために、相当なリハビリをされてきたのだと知りました。今回も雑踏の世界から、万葉の世界に誘っていただき、同行した友人もとても満足していました。また次回を楽しみにしています。何曲かCDを聴きながら古語に触れたり、一緒に歌ったりしながら古代の世界を創造しています。これからも期待しています。

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66号 2017.10.5
「神様からの贈り物」 浜松市 阿部

私が歌枕さんをはじめて知ったのは、二〇一五年の秋でした。たまたま目にした市の広報誌に和歌劇・歌枕直美・龍潭寺と、とてもインパクトのある文字が止まりました。早速チケットの予約をしたかったのですが、一ヵ月後の事で予定がはっきりして無くそのままにしていました。何とか調整し公演の一週間程前に予約の電話を入れたところ、残念ながら満席とのお返事がかえってきました。私は心の中でシマッタと呟いた時、追加公演の予定がありますとの言葉を頂き、その場で連絡先を告げ、歌枕さんが海外公演を終えた後の十一月十四日に初めて公演を堪能する事が出来ました。想像以上の迫力と歌枕さんの圧倒的なエネルギー、完成された舞台は正に本物でした。終演後CDを購入しましたら、歌枕さんのサインが頂けるとの事で厚かましく控え室にお邪魔したところ、お疲れ顔ひとつ見せずに笑顔で接してくださりました。その時から、私は歌枕さんの信者になりました。(笑)

その後、友の会にも入会させていただき、二〇一六年春の初山宝林寺・小國神社での公演、六月十八日浜松での集いと歌枕さんの音楽に接する機会に恵まれました。その後、思いもよらない出来事がありブログ等を拝見し心配しておりましたが、二〇一七年六月十六日にコンサートを開催する旨の案内が届きました。私は直ぐに大阪のホテルを予約しました。当日、多少の不安を持ちながら伝統と格式ある大阪倶楽部に到着しました。開演から歌枕さんは二十五年間の歩みを歌の合間に語りながら会社設立を決意された”オペラ座の怪人“から『オール アイ アスク オヴ ユー』をお嬢様との二重奏で歌われるなど、一年間のブランクを全く感じさせない圧巻の復活舞台でした。ここまでの復活の道のり、歌枕さんご本人の努力は元より周りのスタッフの方々の強い支えによるもの(涙・涙)と知り、抱いていました不安の払拭と共に感動で目頭が熱くなりました。

歌枕さん、これからもご自愛なされ私たちファンに最高の舞台をお届けください。

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65号 2016.5.1
「 ドイツからのメッセージ」 ドイツ・ミュンヘン 片山 彰

私は学生時代・商社マン時代・個人で独立してから四十年の長きに亘ってドイツの土地に住み着いています。人生の半分位がドイツでの生活ですから他人様から見たら結構バタくさい人間かも知れません。正直なところこの四十年間に日本の文化とか歴史から遠ざかってしまった事は否めません。寄る年波に日本が恋しくなるのが通常の在独日本人の性ではないでしょうか。日本食の繊細な味そして同時に目で楽しめる食文化・他人を思いやる文化・以心伝心等々日本ならではの生活文化です。この様に日本と異なった文化の中で生活すると言う事は結構ストレスも溜まり、日本が大変恋しくなるものです。ミュンヘンに在住の日本人も大方日本文化に飢えていると思います。日本から遠く離れたミュンヘンで歌枕直美さんの第一回目のコンサートが行われた事は在独日本人にもドイツ人にとっても大きな精神的インパクトとなりました。

今から二年前の秋に歌枕直美さんがバイエルン州独日協会主催による第一回目のコンサートですばらしい声を聞かせて下さいました。

所謂西欧の代表的な舞台芸術であるオペラとは全く違った形で歌枕さんが音楽で綴る万葉集をみやびうたとして演出・作曲・舞台・衣装等をアレンジされて正に一人舞台のコンサートを通じて観衆を万葉の世界である日本人の心の原点へと導いてくださいました。歌枕さんは万葉集と言う日本の古典をヨーロッパの歌の手法で上手に表現されました。歌枕さんの魅力的なソプラノで歌う歌は御自分で作り上げた音階ですのでコペテイトールの手助けは不要です。コンサートの最後に私は思わず「ブラボー」を会場一杯に発声したのでした。

今ドイツでは難民受け入れ問題で戦後初めて大きな試練に立たされています。一方で難民が住み慣れた自国を離れなければならない時、不幸にも親族と別離しなければならない彼らの気持ちは計り知れないものがあります。万葉集の中にもこの別離を歌った和歌があります。

 君が行く海辺の宿に霧立たば

  我が立ち嘆く息と知りませ

この歌に接した時に、生きて帰るかどうか判らない難民の家族・親戚同士が別離する時に送る言葉と重ねあわす事が出来ると感じました。

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64号 2016.1.1
「 『やまとうた』に出会って・・・」 大阪府 荒木 寛子

私は去年の2月に歌枕音楽教室の門をくぐりました。目標は、社会で歌わないといけない場面に出くわした時、義理を果たすという低いものでした。

しばらくして、「やまとうた」なるものがあることを知りました。皆様御存知のように、万葉集や古事記などの和歌をテーマに作られた歌枕先生オリジナルの世界です。まず歌枕先生のCDを聴いて内容、音楽性に魅了されました。この私にできるのかどうかわかりませんでしたが、練習を始めました。一曲目は 額田王の「船出の歌」でした。内容は

 熱田津に 船乗りせむと 月待てば 

  潮もかなひぬ 今は漕ぎいでな

というあまりにも有名な歌です。其の時の私の歌に対する印象は「単純すぎてなんだかな~」でした。そう思いつつも練習曲に選んだのは短いという理由からでした。ところが、万葉集を読み返して歌の背景を理解し、何度も何度も声に出して歌っていると、おのずと立ち現れてくる情景と香りがあるのに気がつきました。しらずしらずの内に体中に高揚感が満ちて来たのです。当時の同盟国、百済の要請をうけ、唐、新羅軍との戦いの為に、天皇、皇子、その他、国の主だった人々を乗せた船はいま港を出ようとしている、その情景を体全体で感じた為だと思います。うたまくら茶論でも、今から出発だという場面では、この船出のうたを先生が歌われます。それはまるで歌枕先生が 額田王になり、高らかに船出を宣言してうたっているように感じられます。一曲目以降も新しい「やまとうた」を歌うごとに自分の感情の幅が広がり、深みがましている事を実感しています。「やまとうた」に出会って私は歌う楽しさを生まれて初めて知りました。歌枕先生の「やまとうた」や「和歌劇」の作品を通して、そのお話の地にも興味が出て来て、今年春には大伴旅人の地、九州太宰府政庁跡へ、9月には中国の長安(現西安)を訪問し、そこに吹いている風のなかに佇み、 歌われている情景をしのんで至福の時間をすごしました。遠くに行かずとも私の住んでいる関西圏にも歌に詠まれた歴史的な場所がたくさんあります。これからも「やまとうた」 を歌いながら、その和歌の情景に出会うひとときを楽しみたいと思います。

最後に、歌枕先生はうたまくら茶論でのコンサートの時に、その月の友の会会員の方のお誕生日のケーキを焼いてお祝いをしてくださいます。9月は私も含め4人の誕生日でしたが、それぞれの方のイメージにあわせて、なんと4つのスウィーツを用意してくださいました。歌枕先生本当にありがとうございました。

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63号 2015.9.1
「子供たちや若い人たちに広めたい」原田 俊 一

歌枕さんとの出会いは、藤原旧跡で行われた大和三山ライトアップコンサートでした。神殿風のステージで、最後には歌枕さんがステージ上の階段を上り「大和三山」を歌われそれに合わせて花火があがり、総合的にすばらしく奇麗!と思いました。

私達の先祖は、世界でも類を見ない多くの歌を文字で残してくれました。万葉集だけでも約4500首です。五文字と七文字の組み合わせの中に四季を感じ自身の気持ちを織り込まれていて、その想像力の高さに驚きを隠せません。その和歌に美しい曲がつけられた「やまとうた」は、歌枕さんの歌声・日本語の美しい響きに、古いけど新しい、新鮮な魅力を感じました。

 「和歌劇」は、菅沼先生の通説ではないストーリーに意外性があり、不思議でおもしろいです。また音楽構成もすばらしく、ここぞ!というところで盛り上がり、そして歌枕さんの語りが上手くて物語の世界に引き込まれます。単曲で聴くより更に感動します。個人的には、文化的な功績で評価されてもいいと思うのです。

 また私は、歌枕直美音楽教室で歌と生花を習っています。通い始めて5年程になります。教室では音楽のみでなく「お茶・生花・着付」の併設教室も行われています。現代社会は、西洋化が進みなかなか日本の伝統文化にふれる機会も少なくなって来ていますので、日本の文化にふれる良い機会だと思います。私達の先祖が私達に残してくれたものそれは、豊かで優雅にして繊細で洗練された美しい財産だからですし、これからも残していかなければいけないと思います。

 また歌枕先生の「やまとうた特別セミナー」にも参加し、私も僭越ながら数曲ですが習っております。芸術は音楽を含めて、人の心を豊かにして人生を楽しくするものです。せっかく人間に生まれたのですから、芸術に何かしら関わりをもたないともったいないと思いました。感じること理屈抜きに感じるそれが大切です。

 公演の時には、各地の友の会の会員の方とお会いする機会がありますが、共通しているのは「和歌劇」「やまとうた」を、もっと広めたい、一人でも多くの人に聴いてもらいたいということが根底にあると思います。子供たちや若い世代の人たちにも聴いてほしいですし、歌ってほしいと願っています。これからも益々の発展をお祈りしています。

 

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62号 2015.5.1
「 華やかなるうたとことば 」 福岡県 南 比呂志

歌枕さんと最初に出会ったのは、東京・渋谷の某大手レコード店。たまたまCDを買いに出かけたのですが、店に入るなり、歌声が聴こえてきました。その声に魅せられて、イヴェント会場である六階に直行、リハーサルから本番まで、そしてその後のサイン会までその場に居続けたことを覚えています。

爾来十有余年。リリースされたCDは勿論聴きましたし、浜松での和歌劇、大阪・吹田の茶論、そして今回岩国でのジョイントコンサートと、何度も足を運びました。その度毎に、美しい日本の言葉と、麗しい歌枕さんの歌声に改めて感じ入ります。改めて紹介するまでもありませんが、歌も然ることながら、私たち聴衆へのお心遣いも大変肌理細やかです。コンサートでのトークや茶論での会食時には「大阪のオバチャン(失礼!)」として私たちを愉快に笑わせて下さいますし、余韻とともに皆一人残らず暖かい気持ちで帰路についていることと思います。

萬葉の昔から日本人が愛してきた自然、心のうちを詠った言葉、思いを馳せる歴史。こうしたものは、残念ながら、私たちの日々の生活のなかでは然程重視されているようには感じられません。むしろ「自分一人ぐらい勝手にしても」という「甘え」が過ぎて、駄目にしてしまっていることすら多多見受けられます。歌枕さんの取組は、日本の良さを「歴史の遺物」としてではなく、生活の中にもう一度蘇らせる力を備えているのだと強く感じます。今後とも、一人でも多くの方に歌を届けてくださいますよう、心から応援しております。

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61号 2015.1.20
「素晴らしい出会いに感謝」 静岡県 笹田 幸代

私が初めて歌枕直美さんの事を知ったのは、もう15年ほど前になるでしょうか。

当時埼玉に住んでいましたが、子育ても一段落し、何か自分の楽しみと、興味のあった歴史や古典文学の講座に参加し、気の合う仲間とその縁りの地を訪ねる旅をしたりして楽しんでおりました。その頃毎週楽しみに見ていた「真珠の小箱」と言うテレビ番組が歌枕さんとの初めての出合いでした。記憶に間違いがなければ、場所は飛鳥甘樫丘赤いドレス、ロングヘアが風に靡いて、明日香風を歌われている姿はまるで美しい釆女の様と目を奪われました。又その歌声は心地良く心に響いて、それまで難しく理解出来ないだろうと敬遠していた万葉集もこんな風に接し、感じれば良いのだと感動と共に新たな興味を持ち、もっと他の曲も聴きたいと、レコード店に行きましたが、手に入れる事はで出来ませんでした。

それから10年程が過ぎ、一人暮らしの義母の看病の為静岡に越して来ていましたが、その義母も亡くなり、大好きな京都、奈良に、桜、紅葉、歴史縁りの地を訪ねる旅を再開しました、2011年4月18日奈良県榛原にある仏隆寺の千年桜を観ようと榛原駅に降りると駅前に臨時の観光案内が有り、この年は春の訪れが遅く仏隆寺の桜はまだ、五、六分咲きで、大宇陀の又兵衛桜が満開で見頃との事、急拠目的地を変更して向かいました。到着した道の駅で観光パンフレットでも手に入れ様と探している時「姫たちの伝言」のパンフレットが目に付き手に取り本当に驚きました。思ってもいない所で十数年振りに巡り合った歌枕さんの名前、静岡での公演の案内、さっそく電話をして、当日ドキドキしながら会場の浜松宝林寺に伺いました。初めての和歌劇、素敵な歌声、楽しいトーク心から感動した夢の様な時間でした。

15年前あのテレビを見ていなければ、あの年仏隆寺の桜の開花が遅れていなければ、あのパンフレットを手に取っていなかったら、又静岡に越して来ていなければ、等々奇跡の様なこの素晴らしい出会いに感謝しています。もしかしたらあの桜の古木が縁を結んでくれたのでしょうか。

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60号 2014.9.1
『 「竜田彦」と「紫の恋」 』 愛知県 荒木 治年・ひろ子

昔ながらの美しい日本語(やまとことば)を歌枕直美さんが、流暢な西洋音楽にのせて、優しく、ときに力強く歌いあげると、新しい言霊となって、人々に届き心の琴線に触れ涙や感動を誘います。

僕は、竜田彦「白雲の 龍田(たつた)の山の 滝の上の 小按(をぐら)の嶺に 咲きをいる 桜の花は 山高み 風しやまねば 春雨の 継ぎてし降れば ほつ枝(え)は 散り過ぎにけり 下枝(しづえ)に 残れる花は しましくは 散りな乱(まが)ひそ 草枕 旅行く君が 帰り来るまで」「我が行きは 七日に過ぎじ 龍田彦 ゆめこの花を 風にな散らし」聴いた和歌が、風景となり風を感じ、桜の花や香りまで浮かび上がって、ふっと涙が流れ落ちました・・・。

妻に誘われて、昨年4月 愛知県田原市文化協会主催の「歌枕直美の和歌劇」を初めて聴いたとき、学生時代に「日本人が日本人であるための根幹は、古事記、日本書紀などにある」と先輩たちからの教えで、古事記、日本書紀、万葉集や古今和歌集を読み深く感動したことを思いだしました。

多くの異文化と交流する時、自分たちが揺るぎない尊き誇れる文化を持っていることが、とても大切なことだと思っています。

妻は、紫の恋「あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」

「紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻故に 我れ恋ひめやも」のときに、直美さんが「男の人たちは、大海人皇子になりきって手を振ってください。」と言われて、一生懸命に手を振るしぐさが、楽しいと笑っていました。この和歌は、娘たちと読む百人一首の競技かるた漫画「ちはやふる」にも紹介してあって、とても万葉の浪漫あふれる恋歌で、夫婦ともども大好きです。

歌枕直美さんには、温故知新というのでしょうか。日本人として忘れてはいけない原点を思い出させてくれました。

まだまだ、友の会にも入会したばかりですが、これからも「和歌劇」「大和歌」を妻と聴いて応援していきます。

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59号 2014.5.1
「 玉 響 」 静岡県 友田 恭子

「新しく来られた先生が和歌劇ってものを創られて、その総監督をされてるんだって!」と丁度1年前に職場の方から聞かされたのが「和歌劇」との出会いでした。

私は静岡県の遠州森町というところにある介護老人保険施設で介護職をしており、そこに1年前、菅沼先生が赴任されたばかりの春の日のことです。

和歌との出会いは中学時代の国語の教科書。五感をくすぐる圧倒的な百人一首の世界観に憧れ、歌留多クラブに所属し、百首すべてを暗記しました。それから和歌とはおよそ縁のない数十年を過ごしましたが、子育ての終盤となる数年前に「うたのわ」という短歌サイトに出会い、「桃紅(とうこう)」の名で時折拙い歌をこっそり置きに行きます。

初の和歌劇鑑賞は昨年5月に浜松の宝林寺で行われた「大伯皇女」。初夏を迎え、すっかり歌いこまれた鶯のうたを前座に、歌枕直美さんは登場されました。およそこの世の方とは思われぬ厳かな出で立ちと鶯の化身かと思われる澄み透る声で一気に歌枕直美ワールドに惹きこまれたその瞬間の記憶は鮮明です。

それから昨秋に浜松の福嚴寺でのコンサートに伺い、最初に和歌劇の存在を教えてくれた今長さんと共にすっかり歌枕直美さんのファンになってしまいました。いつか茶論コンサートに行きたいと思い、下見と称し、吹田のうたまくらピアノ工房を訪ねました。

その次の日に京都大覚寺でのコンサートがあり、準備やリハーサルで大変忙しい中、一ファンである私のために貴重なお時間を割いてたくさんのお話をしてくださったことに申し訳ない気持ちと感謝の気持ちで心温かく工房をあとにしました。

そしてつい先日、浜松での初の茶論コンサートが行われ、アットホームな雰囲気と歌枕直美さんご本人の心尽くしの手料理、きめ細やかなおもてなしに大変感激しました。

もっと多くの方に和歌劇の存在を知ってもらいたいと思う反面、一人一人を大切にされているやわらかな直美さんの眼差しに触れると、そんなお心を守り続けて欲しいなどとも思うものです。

今年秋には遠州森町でのコンサートも計画されているとのこと。微力ながら何かの形でご協力させて頂けたら、と思っています。

今はまだポツリポツリとした花びらがいつか満開になる日を夢見て…

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58号 2014.1.15
「歌枕直美さんと歩む『友の会』」 大阪府 上島 朱實

歌枕さんの万葉歌を初めて聴いた日、それは16年まえに遡ります。当時私は北浜界隈で働いていました。或る日新聞に目が釘づけになりました。そこには「万葉集を現代曲で歌う歌枕直美さん」というもので、そこだけ文化が輝いているように思えました。丁度コンサート場所が大阪倶楽部で会社にも近く是非聴いてみたいと当日を待ち兼ねていました。レトロな大阪倶楽部で聴いた歌枕さんの「みやびうたコンサート」にすっかり魅了されてしまいました。

以後歌枕さんが歌っていると聞けばレコード店、画廊等に足繁く出かけていきました。聴く機会が増すにつれ「この人の歌は本物だ、今にきっと日本文化を担って成功されるに違いない」と確信を抱くに至りました。いつの間にか歌枕さんと親しくお話するようにもなり私に出来ることで少しでもお役に立ちたいという想いで、いろいろな処で歌枕さんと万葉歌を熱く語っておりました。やがてファンの方々が増えて来て「歌枕直美を応援する会」が発足致しました。それと共にこの会は日本文化を意識して歴史的建造物でのコンサートを目指していくことになりました。

桜の庄兵衛、新井邸、西尾邸、大門酒造、北庄司酒造店他等で「みやびうたコンサート」が実現して皆様に好評を得てきました。歌枕さんは次々と名だたる場所で「みやびうたコンサート」を行い、素晴らしい方々との出会いがあって新聞やラジオで一躍その存在が知られるようになりました。そうこうしている中古代史研究家の菅沼登先生が登場されました。菅沼先生は新聞で歌枕さんを知り、古代史に題材を求めた「額田王」という物語作品を持込まれ、歌枕さんに演じて歌って欲しいと。

ここから菅沼先生と歌枕さんによるコラボで「和歌劇」という全く新しいジャンルの創作劇が誕生しました。それからのお二人の活躍には目を見張るものがあり、次々と精力的に作品を生み出して各地で上演が始まりました。思いつく限りでも「かぐや姫」「空海」「信長」「姫達の伝言」「ヤマトタケル」「メドリとハヤブサワケ」「熊野」「月と黄金」等々数え切れない程の作品群です。数年前から海外へと船出しており、フランス、ポーランド、トルコ、フィンランドに於いて、その芸術性の高さで聴衆を魅了し、今や文化大使の役目を果たしておられます。

海外公演はこれからも未だ未だ続きます。「応援する会」は名称を「友の会」へと一新し、現在浜松支部に二上山支部が増えました。今後も支部が出来てゆく予感が致します。私達「友の会」は、歌枕さんが常に原点に立ち返り又新たなる出発に向かう姿を誇りに思います。そしてこれからも熱く応援し、共に歩んでまいります。

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57号 2013.9.1
「万葉の心、クラシックとの調和に感動」 奈良県 上島 秀友

今年の2月、突然に中学の同級生である松田千恵さんから電話があった。彼女とは卒業して以来、話した記憶がなかったから正直驚いた。聞けば、彼女の師匠である歌枕直美さんという歌手が、料理研究家の奥村彪生さん宅で『平家物語』の和歌劇を公演されるので参加してほしいとのこと。私は奥村さんと同じ香芝市に住んでいるということと、歌枕さんが『万葉集』を歌っておられる歌手ゆえ、私が興味を持つだろうと思って誘ったとのことだった。

その頃、私は二上山の麓を中心とした歴史書『天の二上と太子の水辺』を上梓し、『小説 大津皇子』を執筆中であることを同級生から聞いたためであるという。案内の手紙にはCDも同封されていた。早速そのCDを聞いてみると、予想外にも体に戦慄が走る程に驚いた。

元来、私はカノンという日本人の女性歌手のファンである。ある朝、FMからクラシックの調べにのって、ソプラノの、しかも美しい日本語の歌詞が流れてきたときのことを今でも鮮明に覚えている。そのうたは「こころ」、歌っていたのが彼女で、メロディーはベートーヴェンの「ピアノソナタ第8番」であった。それ以来、彼女の慮になった。ラフマニノフの「ヴォカリーズ」、ドビュッシーの「月の光」などの名曲を、抒情的で心を打つ日本語で見事に歌いあげているからだ。

歌枕さんの歌を聴いたとき、それにも勝る衝撃をうけた。犬飼節と称される万葉集しかイメージできなかった私は、その嬉しい誤算に感動していた。

 私は「ふたかみ市民オペラ」立ち上げに協力したこともあり、関西二期会などの人が歌うアリアを聞く機会が多かった。私には歌枕さんの歌唱力とピュアで伸びやかな声は彼女達を凌駕しているように思えた。しかし根本的な違いは、日本人の心を壮大に、かつ繊細に歌っていることだ。『万葉集』がこれほど西洋音楽と調和するとは驚き以外の何者でもなかった。作曲、選曲、編曲もすばらしい。

「磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど」、弟大津皇子の死を悼む歌が流れてくる。歌枕さんが歌でその心を訴えるように、私は小説で大津皇子と大伯皇女の世界を描きたい。足下にも及ばないのは先刻承知しているが、出版の暁には是非ともご一読頂き、皆さんの感想を賜りたい。

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56号 2013.5.10
「ドリーム カム ツルー」 大阪府 德弘 勝昭

歌枕音楽教室に入って、8ヶ月になります。「60歳の手習い」ならぬ70歳の手習いですから四苦八苦している作今です。昨年4月、現役を引退しました。これからの冥土への旅は、帯津三敬病院長の主張する「冥土へぽっくり往く」が私の理想です。そのためには、お釈迦さんの教えを学び、気功で心身を整え、これまでの人生で一番、疎遠であった音楽を楽しめる暮らしにしようと始めました。

これまでに、楽器をいじったことは無く、歌を歌うことも無く、歌うのは、むしろ声が悪いので嫌いでした。せいぜい洋楽を聴く位のものでした。特に、年を取るにつれ、仕事に没頭する環境になり、音楽を始め、文化的から疎遠な生活になっていました。音楽を始めて、音楽が脳に及ぼす影響が、素晴らしいこと。最近では、お経をあげることと歌うことが、脳には同じ働きがあるように思いつつあります。歌枕教室では、ピアノと歌のレッスンを始めて70歳の生徒です。先生方や、先輩方の熱心さに、驚くと共に、そのパーフォマンスが、高いことに感心しています。其の上、歌枕茶論では、いい音楽を聞かせて頂き、歌枕先生の料理に舌鼓を打って、以前と違い、文化的に過ごしつつあります。特に、歌枕先生のやまとうた、和歌劇は、素晴らしい。

私が思うに、

一、日本の古典、古事記、日本書記、万葉集等を文字の世界から、ビジュアルなもの ー二次元から三次元の世界に創り変えられ、日本の文化の再発見になっていること。

二、日本古典を皆さんが楽しめ、役に立ち、歴史を楽しめるものにしていること。

三、日本文化を、その素晴らしさを世界に発信しつつあること。

現在のポーランド公演から、世界中に広まるように思います。私自身も、やまとうたや、和歌劇の影響を受けて、生まれて始めて、「古事記」や「万葉集」を読む機会を得ました。

人類社会が始まって以来、人類が夢みたものは、実現することになっています。社会でも、個人でも同じです。大きい夢、小さい夢、それが生甲斐であり、エネルギーの源です。渡部さんのエール、「カーネギホールでやまとうたを、和歌劇を公演しよう」も夢ではありません。其の実現のための条件、(一)創意、工夫していること、智慧を働かすこと、(二)実行すること、(三)長く続けること ー継続は力なりー は、整っています。

「カーネギホールで歌枕公演を」をエールして、この会員メッセイジを終わります。

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55号 新年特別版「たまゆら」 2013.1.1
ポーランド・マリーキュリー大学のWłodzimierz Pastuszak教授よりメセージをいただきました。

2012年10月23日に、ルブリンのマリ・キュリー大学で創立記念コンサートが行われました。プログラムは、河合裕子さんのショパン演奏、私の「煩悩」絵画映像、そして歌枕直美さんの和歌劇「富智の山」の上演でした。特別座席には大学長ら、先生たちと特殊なお客さんがお座りになっていました。

当日の天気があまりよくありませんでしたが、会場は満席でした。それは、コンサートのポスターには日本国の歌枕直美様の美しい姿が出ていらっしゃったおかげかと思っております。

実は、前日の夜から一晩中、ルブリンは濃い霧で隠されていました。

会場の明かりが消え暗闇の中、観客は期待と緊張の中、音一つもなくシーンという雰囲気で待ちわびていました。暫くしてから、マジックかの様に、舞台には絶妙な美しさ、素晴らしい衣装と美しい声の姿が現れました。観客は音楽に没頭し夢中になって、昔の日本の神話の遠い世界にひきこまれました。まるで、ルブリンへ富士山から金色の風が飛んできたかのように感じました。それは、とても神秘的な一夜のコンサートでした。観客はアーティストのために熱い拍手を送りました。

コンサートの後、学長主催でアーティストと大学関係者のための懇親会がありました。テレビ放送局、ラジオと写真家の方々も参加していました。

そして、その方々は、この日のマジックの瞬間を目撃することができました。なぜなら、歌枕直美様が歌うと、曇った空が清らかになり、霧が消えていきます。コンサートが終わった後には、霧が一切なく、そしてルブリンの空は綺麗で、やっと輝く星が見えてきました。

2012.12.14 パストゥシャク・ヴウォデク

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54号 2012.9.1
「二上山遠望」 大阪府 松田 千恵

私には、大切にしている一枚の絵画があります。それは、明日香甘樫の丘からの二上山遠望の油絵です。昨夏の終わりに小阪カルチャーでの、歌枕先生の「やまとうた」との出会いが、この絵と重なり、広がっていくのが、不思議というか、必然的というか、運命的なものを感じます。

今年2月より始められた初めてのセミナーの時、あまり嬉しくて、額より外し、持参してしまいました。ふるさとは、遠くより思うものといいますが、このような形で融合して、これからも私自身の中で育てていけるのが、有難いことです。歌枕先生は、公演活動、茶論でのコンサートに加えて、セミナーで「やまとうた」の指導をしてくださっています。五人くらいのグループ指導ですが、ひとりひとりに合わせて指導していただき、いいところを伸ばしてくださっています。最初は、「どうしよう。」「大変なところに来てしまった。」と不安でしたが、お人柄でしょうか、大きな優しさに包んでいただいて、回を重ねるごとに、深みが増してまいりました。

歌枕先生の音楽家としての活動は、言うまでもなく格別ですが、お料理も素人離れしていて、茶論でのコンサートの後は、お食事も楽しませていただけます。

私は、二上山のふもとである奈良県香芝市の出身ですが、亡き父が植えた紅梅で漬けた「梅酒」も喜んでいただき、また、迷惑かなと思っていた後の梅もジャムにして、デザートのクレープに包んでいただきました。人の気持ちを大切にし、食材{自然の恵み}を大切になさる、「さすが」と、感動致しました。戴きものの野菜もスープからデザートまで仕上げてしまわれるのは、圧巻ものです。

今秋には、例年のポーランド公演に加えて、マリー・キュリー大学で和歌劇「富智の山」を上演されますが、もっと世界に羽ばたかれましても、いつまでも、茶論で接していただける歌枕先生でいていただきたいと切に願っています。

結婚後間もなく行かれた鹿児島知覧での衝撃が万葉の世界へ導いたとのことですが、現在も様々な問題を抱えた社会です、

歌枕先生の歌声のように、明るい澄んだ世界になるように願ってやみません。

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