歌枕直美 友の会
イベント企画・制作などを中心に多岐に活躍、近年は歴史物語を創作執筆しておられる楯川さんにお話を伺いました。
イベント制作の世界へ
歌枕直美(以下、歌枕):五月萬福寺での「ワクムスビ」公演にお越しいただき、ありがとうございました。
楯川修二(以下、楯川):歌枕さんの公演は毎年、楽しみにしており、物語が一直線にスッと自分の中に入ってきます。
歌枕:とても嬉しいことです。楯川さんはイベント制作会社をされていますが、元々、どういうところから今のお仕事につかれたのですか。
楯川:大学時代は水産を専門に勉強をしていて、屋久島の横にあるがフィールドで、潜りを専門にトラギスやエソを研究していました。
歌枕:どうして水産に進もうと思われたのですか。
楯川:友人の薦めがあり、また受験の時に大学の資料を見た際に実習で南氷洋に行けると書いてあり、興味を持ちました。
歌枕:なかなかない着眼点ですね。実際に学校に入ってからはいかがでしたか。
楯川:面白い先生がたくさんおられました。また水産学科の先輩には近大マグロの養殖に成功した先生もおります。実習船で日本一周をした際には、その先生がマグロの養殖に成功する前の実験施設も見学しました。
歌枕:先見の明をお持ちの先生だったのですね。
楯川:だと思いますが、学生たちには「船の免許を取って、マグロに餌をやってくれたら卒業さしてやる!」というような先生で、研究室の方たちは真っ黒になりながら、餌をあげていました。
歌枕:そのような水産の世界から何がきっかけで広告の世界に進まれたのですか。
楯川:水産科の人は魚が大好きで、ずっと魚に関わっていたいので、公務員になって県の水産課などに進む人が多かったですね。しかし、公務員のような仕事は自分の肌に合ってないと思い、広告の世界でコピーライターを目指しました。
歌枕:この当時、注目されていた職業ですね。
楯川:コピーライターならフリーで働けるし、自分の脚でしっかり立って生きていけると考えました。
歌枕:はじめからお一人でされていたのですか。
楯川:大学卒業後は二年程、広告代理店に勤めました。この時代、コネがないと広告関係の会社に就職できないというのがあからさまにありましたが、たまたま、就職することができました。いまだにどこが気に入られたか分かりませんが…。(笑)
歌枕:コピーライターから、いつ頃、現在のようなイベント関係のお仕事に携わるようになったのですか。
楯川:独立してなかなか食べていけなかったのですが、その頃に花博の準備が始まりました。花博には催事センターがあり、管理部門に携わるようになって、この時からイベントの仕事にシフトしました。
歌枕:新しい流れになったのですね。
楯川:イベントって楽しいですよね。花博のような大きなイベントに関わっていると「イベント=お祭り騒ぎ」なので、この流れで会社を立ち上げられるのでないかと勘違いしてしまいます。実際に別のチームは十人ぐらい集まって会社を設立しました。
歌枕:そのチームには入ろうとは思われませんでしたか。
楯川:自分はもうすでに個人で仕事をしていたので、そこまで積極的ではありませんでした。たまたま別の会社の人が僕を含めて四人で会社を作ると言い出しました。
歌枕:どういう方が中心で会社を作られたのですか。
楯川:とても面白い方なのですが、仕事で関わらなければ…という条件付きなので、なかなか大変でした。(笑)
歌枕:何か起きたのでしょうか。
楯川:この方を経由して某放送局関連会社から仕事をもらっていたのですが、ある時、『彼と私と二人の話が違うので説明しに来なさい』とクライアントから言われ、説明に行きました。ところが、彼の方が来ず、仕事から身を引いたので、そこからたくさんの仕事をもらえるようになりました。
歌枕:運を握られたのですね。
楯川:自分は普通にしていたので、それ以降、自然体でイベント会社をできるきっかけになりましたね。
拳究会(けんきゅうかい)谷町
歌枕:楯川さんはこのオフィスで武道も教えられているようですが、どのようなきっかけですか。
楯川:このまま仕事漬けだと体を壊しそうなので、会社の近くにある少林寺拳法の道場に通い始めました。大学時代にもやっていたので始めやすかったのです。
歌枕:そこから現在の武道の流派にはどのようなきっかけで、辿り着かれたのですか。
楯川:ある時期に、少林寺拳法の運営方針と考えが合わず、少林寺拳法から飛び出しました。現在は別の流派の先生の技を引き継いでやっています。
歌枕:大切にされている教えはありますか。
楯川:武道には難しい言葉で精神性を説いた言葉が多くありますが、それは子供たちには理解しにくいです。
歌枕:確かに、せっかくの良い言葉も意味が伝わらなければ、大切な思いや、メッセージが伝わりませんね。
楯川:なので、子供たちには「アホでも素直が一番!」と大きな声で言うようにしています。
歌枕:大事なことです。(笑)
楯川:ちなみにそのあとに小さい声で「でもアホより賢いほうがいい」と少し付け加えます。(笑)
歌枕:子供にも核心が伝わる言葉ですね。
楯川:武道をやることで、実際の技術だけを身につけるだけでなく、自分の脚で立って、自分だけでなく大切な人、仲間を守れる、その心と体のバランスが大事だと感じます。
歌枕:力があっても人を思いやることができなければ、本当の強さにはならないと思います。
楯川:いつも自分の中で円を描き、それを半分に分けて、自分と他人とどの程度の比重かを考えるようにしています。
歌枕:きれいに半々のバランスを取れるものなのでしょうか。
楯川:これが実はなかなか難しいものなのです。
歌枕:武道は技術的なところだけでなく、心とも本当に繋がっているのだなと感じます。
楯川:自分の中でバランスよくできていると思っていても、ちゃんとできていないことの方がうんと多いわけです。自分の体≠心になってしまいます。心と体が一緒になれることが理想です。
執筆活動
歌枕:何がきっかけで歴史物語を書こうと思われたのですか。
楯川:以前から武道と歴史をテーマにしたら何か書けるのではないかと思い、コロナ期をきっかけに、まずは野見宿禰から書き始めました。
歌枕:野見宿禰は日本書紀などに登場しますね。
楯川:野見宿禰は当麻蹴速と相撲で対戦しましたが、この対戦はあくまでも自分の空想の考えですが、北の武術と南の武術がぶつかり合ったのではないかと考えました。
歌枕:日本書紀の文章だけで読むととても短いですが、とても立体感のあるお話ですね。
楯川:天皇の御前で戦ったことが、なぜ国史に記録されたのかという疑問から「天皇側の人間」と「統制される側の人間」が描かれているのではないかと思い、執筆しました。
歌枕:とても興味深いです。
楯川:これらの本を書く上で心掛けているのは、クスッと笑え、歴史上の有名人のそばにいたであろう人にもスポットライトをあてていることです。一般の方にも読みやすいように書いているつもりです。
歌枕:着眼点がとても分かりやすく、伝わります。これまで何巻にわたり書かれているのですか。
楯川:上下巻のものもありますが、現在七巻まで書きました。今の構想では全十巻まで書く予定です。
歌枕:書く時代は決まっているのでしょうか。
楯川:古代だけでなく、江戸時代、幕末のことも書きたいと考えています。
歌枕:お仕事をされながらの時間づくりは大変ではないでしょうか。
楯川:コロナ期に仕事がバタッと減ったのですが、忙し過ぎず丁度よいバランスになりまして、以前から書きたいと思っていたものを執筆する時間が取れるようになりました。
歌枕:コロナが味方になったのですね。ぜひ最後まで書き上げてください。期待しています。
楯川:歌枕さんは歴史的な建物でコンサートをされていますが、建物やその場の雰囲気を自分のものにされていくことは本当に凄いことだと思います。
歌枕:とても励みになるお言葉をありがとうございます。今後とも見守っていただけると嬉しいです。本日は貴重なお話をありがとうございました。
| 楯川修二(たてかわしゅうじ) |
1959年神戸生まれ。広島大学生物生産学部水産学科を卒業後、広告プロダクションにSP・広告プランナーとして入社。2年で退社し、財界新聞社に入社、企画・イベント制作などを担当。1988年にフリーランス。1990年「国際花と緑の博覧会/地方公共団体の日」担当後、1992年には(有)シナジープロジェクトを設立。皇室行啓行事、マスコミ連動型イベント、博覧会・テーマパーク他多数のイベント・番組などの企画・制作・演出・プロデュースを行う。2001年にはイベント・番組等を総合的に企画制作できるプロダクションとして(株)シナジーに組織変更。現在はペンネーム「盾のまま」として、仕事に加え、武道で歴史を掘るをテーマに小説を執筆中。 |
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