歌枕直美 友の会

うたまくら草子
歌枕直美の心から語りたい
vol.77 加藤輝雄 ・加藤徳子

 
陶芸家の加藤輝雄先生の滋賀にある工房・紫岳窯をお尋ねし、画家である奥様・徳子さんもご一緒にお話をお伺いしました。
 

清水寺本坊・成就院
 
歌枕直美(以下、歌枕):昨年は無名舎の公演にお越し下さりありがとうございました。加藤先生にはじめてお会いしたのは、20代の頃、無名舎の吉田先生にご案内をいただき個展にお伺いした時でした。
 
加藤輝雄(以下、加藤):無名舎は、父の紫山窯より独立し紫岳窯を築き、個展をはじめた所です。本当に直美さんとも永いお付き合いになりました。
 
歌枕:30年以上お付き合い頂きまして、感謝です。その時、奥様の徳子さんもいらっしゃり、すっと着物をお召しになられていて、さりげなく陰を支えていらっしゃるお姿が美しくて女性として憧れました。
 
加藤徳子(以下、徳子):とんでもありません。今日の直美さんのお着物姿は、とても素敵です。
 
歌枕:お恥ずかしいです。はじめて加藤先生の作品を拝見したとき、「触ってください。」と言われて、格の違う作品とわかっていたので、とても緊張したのを記憶しています。実際に触らせていただいた瞬間、軽やかで見た目と違うギャップに驚き、見た事のない世界、大事な感覚だと思いました。
 
加藤:品が大切ですね。無名舎での個展の時、器を展示して帰り翌日になると無名舎当主・吉田さんが位置を動かしているんですね。それを翌朝、私がまた自分の気に入る様に変える、でも良いなと認める所はお互いに触らない。こんな私でも、吉田さんはちょっと認めてくれている無名舎はそんな縁があるところですね。
 
歌枕:私は、その時に、こういう器で料理ができるようになりたいと思いました。そしてそれから30年経って、今、実際に使わせていただいています。
 
加藤:それは嬉しいですね。器は飾るものでなく、使ってもらうことが大切だと思っています。
 
歌枕:加藤というお名前の陶芸家は多くいらっしゃいますね。加藤先生は、どのようなご家系でしょうか。
 
加藤:文献に出て来るのは、古田織部に見いだされて、古田織部のために作っているのが初代。そこから数えて父が13代目で、私が14代目になります。
 
歌枕:お父様の影響は大きいですか。
 
加藤:そうですね。父が大きすぎましたね。しばられることは一切なくて、何をせいと言われたことは有りませんが、茶の湯の世界のものは、「50歳をすぎてからやりなさい。」とだけ言われました。
 
歌枕:以前、加藤先生から売るための作品をつくってはいけないという話をお伺いして、驚きました。(笑)
 
加藤:そうですね。それだけは父のいいつけを守っていいます。(笑)もともとは、自分の作品を世の中に出すではなく、父の作品を作ることで一生終えるつもりだったのですが、友達のお陰で個展をはじめ、その後、清水寺本坊・成就院で毎年させていただき、本当は昨年が30年だったのですが、コロナの影響でお休みし、今年30回目となります。
 
歌枕:成就院は歴史が深く、またお庭も大変美しく素晴らしい所での個展で、毎年楽しみにしております。
 
 
何よりも無駄が大切
 
加藤:ある時期、無名舎で見た定窯の白磁が頭の中から離れなくて、1年間ずっとこだわって他にはなにもできないという時期がありました。今もこだわっているけれどできない。今まで一杯つめ込んできた無駄なものをどこまで捨てればいいのかかが難しい。ここまで減らしたら良いというのを通り過ぎると、貧弱になり品がなくなる。品をもたせながら、自分が納得するまで、いらないものを削ぎ取ることが重要です。
 
歌枕:減らして行く事の重要性について、良くわかります。追求されて、それで納得のいくものができたのでしょうか?
 
加藤:追求しできた碗を実際に使っていた人から、洗っている時に指がぬけたという話があって。(笑)まだまだです。今度は、用途を大事にしなあかんと思いました。
 
歌枕:お父様は、陶芸家であり、篆刻でも有名でいらっしゃいますね。先日、奈良の依水園寧楽美術館で開催されている展覧会を拝見いたしました。
 
加藤:父は、園田湖城先生に入門し、篆刻とは、古代を知る事と研鑽を重ねた末、中国古印2000年前の「封泥」にたどりつきました。
 
歌枕:2000年前のものの研究とはすごいことですね。実際に、どのようにされるのでしょうか。
 
加藤:美術館の許可を得て、すべての印を家に持ち帰り、シンナーで洗って封泥をとっているのですね。世界4大コレクション(園田湖城旧蔵品、藤井有隣館、寧楽美術館、大谷大学の4つ)全てを、家に持ち帰る事ができたのは、とても幸せな事だったと思います。
 
歌枕:それだけ信頼されていらっしゃったということですね。そして、先生はそのお父様のお仕事をご覧になっていたのですね。
 
加藤:はい。80歳過ぎてからも、115時間以上、勉強をしていました。父の研究資料は、九州国立博物館の常設展の中に並べていただいています。また、奈良の依水園寧楽美術館では「加藤慈雨楼—磁印凛々—」を開催していただいており、その陳列を見て父がすごいことをやっていたと、わかってきました。
 
 
「連鎖」
 
歌枕:以前、お伺いした時、「何この絵は!」、それが徳子さんが描かれた「連鎖」との出会いでした。それまで徳子さんが絵描きであると知らなかったので、驚きました。その時期、私の心の中での大きな節目で、この絵を絶対にそばに飾らせて欲しいと思ってお願いして、譲っていただき、今、うたまくら茶論に飾らせていただき、その前で毎月「茶論やまとうたコンサート」をさせていただいています。
 
徳子:ありがとうございます。私の絵が何かのお役に立っているとしたら、とても嬉しいです。
 
歌枕:加藤先生とご結婚され、子育てをしながらの作品作りは大変だったのではないですか?
 
徳子:子育て中は、絵の道具は押し入れの中に封印し、子供が小さい時は家で染色の仕事をしたり、少し大きくなってからはデザイン事務所でテキスタイルの仕事をしていました。
 
歌枕:絵を再び書き始められたのは、いつ頃からですか?
 
徳子:絵とのつながりを切りたくないと、4人目の子供が2歳になった時に、研究所に所属し細々と関わり、いつか作品が描けたらと思っていたのですがなかなかできませんでした。
 
歌枕:「連鎖」をテーマに、書き始められたのはどういうきっかけでしょうか。
 
徳子:母が亡くなったことがきっかけで、何か命につながることをテーマにしていきたいと思い、命が受け継がれてつながっていくという意味を込めて、「連鎖」と題しました。
 
歌枕:「連鎖」、本当に素晴らしいテーマだと思います。
 
徳子:自分を励ますために描いてきたように思います。何も苦労がなかったら、描いていなかったかもしれないですね。(笑)現実を乗り越えるためにの生命力を、表現できたらと思っています。いつの日か超えて、突き抜けた先にある何ものかを見たいと思っています。
 
歌枕:その思いとてもわかります。「連鎖」の絵は、見る人の心に響きます。うたまくら茶論にお越しになる皆様も、それぞれの思いで拝見されています。
 
徳子:ありがとうございます。観て下さる方、お一人お一人の心の状態で、どのように観ていただいても良いと思っています。
 
加藤:私の周りの人は皆、彼女の味方です。(笑)
 
歌枕:私も徳子さんのように、強く美しく素敵に生きたいと思います。
 
加藤:直美さんは、いろんなものに対しての敏感なものをもっているから、今迄のあり方で、今以上に身体に気をつけて歌い続けてください。ここでもCDを聴かせていただいています。
 
徳子:直美さんの歌、そして生き方は、関わる皆様の希望になっていると思います。これからも頑張って下さい。
 
歌枕:歌い続けていきます。今日は、深いお話をありがとうございました。これからもどうぞ宜しくお願い致します。
 
 
 

加藤 輝雄(かとう てるお)

1938年瀬戸十作の治兵衛より13代目の陶芸家・篆刻家、加藤紫山の三男として、京都に生まれる。関西美術院に学びながら、陶磁器訓練校と工芸指導所を卒業後、父、紫山のもとで作陶を始める。1985年紫山窯より独立。修学院に紫岳窯を築く。1986年~1990年無名舎(京都)、1989年西武百貨店(東京池袋)、1991年~2003年ギャラリー島森(鎌倉)、1991年~2004年文芸春秋画廊ザ・セラー(東京銀座)、1991年~2019年清水寺本坊・成就院に於いて個展を開催。2011年土山町鮎河から甲賀町神に工房を移す。

加藤 徳子(かとう のりこ)

京都市立美術大学(現京都芸大)西洋画科卒業。2000年頃より、連鎖シリーズの制作を始める。現在、行動美術協会会員