歌枕直美 友の会

うたまくら草子
歌枕直美の心から語りたい
vol.73 北河原公敬

 
前号に続き、東大寺の長老であられる北河原公敬師をお尋ねし、お話をお伺いいたしました。
 

修二会
 
歌枕直美(以下、歌枕):前号は、1300年に亘る生きた歴史のお話を、ありがとうございました。前回お伺いできなかったのですが、北河原さんは皇室とのお関わりも深いとのことですが、どのようなご縁でいらっしゃるのでしょうか。
 
北河原公敬:(以下、北河原):母が島津家の出で、昭和天皇の五女である島津貴子様(旧:清宮貴子親王)の夫である島津久永様が母の弟で、私の叔父にあたります。
 
歌枕:鹿児島の島津ご出身ですか?鹿児島の方は、島津家を誇りにされていますね。ちなみに歌枕は鹿児島の名前です。
 
北河原:そうですか。島津一族の集まりで、鹿児島の湾から名前をとった「錦江会」という会があります。2年に1度、霞会館で百人ほど参加する会が開かれます。その時には、昭和天皇の后であられた香淳皇后の生母が島津家の出身というご縁があるため、両陛下と皇太子様がご臨席されます。
 
歌枕:大変深いつながりでいらっしゃるのですね。それでは東大寺とは、いつ頃から関係されているのですか?
 
北河原:祖父が東大寺に入ったことからつながりができました。
 
歌枕:祖父様も東大寺の管長、長老をお務めになれた方でいらっしゃいますね。今回うたまくら草子は、令和2年新年号となりますので、東大寺の「お水取り・修二会」のお話をお伺いできますでしょうか。
 
北河原:「修二会」は、大仏様ができて開眼された年にはじまっており、1268回一度も途絶えたことのない宗教行法で、学者からも世界中で他にはないだろうと言われています。
 
歌枕:1268回、本当にすごいことですね。「修二会」とは、どのような行事でしょうか。
 
北河原:修二会というのは、人間の罪とか汚れ、様々な過ちを二月堂のご本尊である十一面観世音菩薩の前でする「十一面」という行法です。自分のことのみでなく、世界中の総ての人の代表として懺悔し、人々の幸せ、国家安泰、五穀豊穣、そして今だったら世界平和、天変地異や災害がないことを祈ります。
 
歌枕:世界中の総ての人の代表として懺悔される、それはすごいことですね。
 
北河原:修二会の行を務めるのは11名で、と呼ばれており、毎年12月16日東大寺の開山の命日に、別当職から発表されます。
 
歌枕:北河原さんも、何度もお入りになられたのでしょうか?
 
北河原:はい。28回入りました。2月20日になると、11人の連行衆全員が同じ所に寝泊まりします。今は、戒壇院の庫裡を使ってやっていて、普段の生活とは違う別火を使って生活します。合宿だけと境内は歩ける「試別火」と、庫裡の中だけの生活の「惣別火」に分かれます。
 
歌枕:この期間には、どのような行をされるのですか。
 
北河原:「試別火」の期間には、11人が揃って唱名を練習したり、行で使用する道具を整えたりし、その後「惣別火」の期間となり、2月末日 二月堂に登り、二週間に及ぶ本行がはじまります。
 
歌枕:修二会はお水取りとも言われますが、どうのようにして呼ばれるのでしょうか。
 
北河原:修二会の行の中で、1回だけ水を汲む儀式があります。二月堂の下に井戸があり、そこから清水(香水)を汲み上げ、それを1年間ご本尊にお供えします。
 
 
受け継がれる歴史
 
歌枕:「修二会」は、1268年間一度も途絶えたことのないとのお話でしたが、長い歴史の中で様々な事があったと思いますが、本当に毎年かかすことがなかったのでしょうか?
 
北河原:そうですね。「修二会」のみでなく、長い歴史を顧みると東大寺を存続することにも、大変な時期もありましが、この行法は東大寺のためでなく世の中すべての人々のためで、先人からしっかり受け継いで来ていることで、それを自分たちの代で途絶えさすことはできないという思いで続いてきました。
 
歌枕:どういう時期が大変だったのでしょうか。
 
北河原:古くで言えば、源平合戦の時に「南都焼き討ち」(1180年)があり、大仏殿は焼けたけれど二月堂は免れ、また戦国時代、「三好・松永の乱」(1567年)があって東大寺は巻き添えになり焼かれて、江戸時代には二月堂が焼けてしまうと、仮堂としての法華堂で行法を行い継続してきました。
 
歌枕:何度もの焼き討ちにあっても、東大寺を復興され、現在まで受け継いで来られたのですね。
 
北河原:はい。第二次世界大戦の時には昭和20年3月13日夜半から14日未明にかけて、第一回の大阪大空襲があって、二月堂から見ると生駒の向こうが真っ赤に染まっていました。また行の間に、召集令状が届き連行衆11名のうち3名が外に出ないといけなくなり、途中から8名で行を行うということもありました。
 
歌枕:北河原さんのお話は、東大寺と共にまさにその時代を生きてこられたように感じるのですが、その歴史を語り継ぐ記録が残っているのですか?
 
北河原:はい。行法を務める時に、日記「修中日記」を付けています。それを見ると、行法のことのみでなく、その時代時代の世の中の状況も見えてきます。
 
歌枕:歴史書の文字で見る話でなく、ここでは歴史のできごとがすべて生きた話としてお伺いし、長い歴史を乗り越え受け継がれて来たことを感じます。本当に感動しました。
 
北河原:実は、終戦(昭和20年)までの「修中日記」は、重要文化財となっています。
 
 
心造諸如来
 
歌枕:東大寺の「華厳宗」とは、どのような宗派ですか?
 
北河原:華厳宗の所依の教典は華厳経で、専門家からは難解だと言われます。お釈迦様が悟りを開かれた心情がそのまま経本になったのが「華厳経」なんですね。「華厳経」は、「この世に存在するありとあらゆるものは心の現れだ」と説いています。
 
歌枕:すべてのものは心の現れですか?
 
北河原:東大寺で皆様にお勧めしているお写経の中に「唯心偈」というお経があります。私たちの心というのは、何でも心の中で思い描くことができる。心の中では、良いことも、悪いことも描くことができる。描くことを間違えれば、仏にもなれるけど、悪魔・鬼にもなる。という内容です。
 
歌枕:心の持ち方しだいと言うことでしょうか。
 
北河原:はい。「心造諸如来」、もともと私たちの中に、仏種を持っていますが、それをちゃんと育てれらるかどうかが問題です。欲望だったり、煩悩を取り除く丹精さをこめて育てたなら、仏の心が育ち自分自身の心の調整ができるようになります。できるようになったら、仏(悟り)の道のスタートに立てたということです。
 
歌枕:仏の心には、お写経をすると近づけますか?
 
北河原:もちろん写経しただけでは、近づけませんが、写経している間は、一つのことに対して集中し、その中から、写経に説かれている言葉の響きとか、重さを感じ取っていただけたらと考えています。また、その写経されたものは、数年間、大仏様の躰内に納めてもらえます。
 
歌枕:今日は、日本のへそを見た気がします。
 
北河原:歌枕さんは、万葉集などの和歌を歌うことを通して、歴史を語り継いで行って下さい。
 
歌枕:新年号に相応しい貴重なお話をありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。
 
 
 
 
 

北河原 公敬(きたがわら こうけい)

奈良市生まれ、10歳で東大寺入寺、15歳で得度。龍谷大学大学院修士課程修了。東大寺執事長、上院院主などを歴任後、2010年5月、第220世東大寺別当就任、現在、東大寺長老。東大寺学園理事長、印度山日本寺の第6代竺主。