歌枕直美 友の会

うたまくら草子
歌枕直美の心から語りたい
vol.72 北河原公敬

 
東大寺の別当を務められ、現在長老であられる北河原公敬師をお尋ねし、お話をお伺いいたしました。
 

心の復興
 
歌枕直美(以下、歌枕):ご無沙汰いたしております。はじめてお目にかかってから三十年以上たち、今、もう一度お話をお伺いしたいと思いました。
 
北河原公敬:(以下、北河原):もうそんなになりますか?歌枕さんとは長いご縁になりましたね。
 
歌枕:はい。北河原さんは御父様、御祖父様も東大寺の当を務められたお家でいらっしゃいますが、幼少の頃から自分の人生が決められていることを受け入れられていらっしゃったのでしょうか。
 
北河原:東大寺では、塔頭寺院を維持して行くために、住職は一人の弟子を取らないと行けないしきたりがあり、外から弟子を取るか、自分の子供を育てます。ですので、特別なことでなく、普通に受け止めていたと思います。
 
歌枕:おいくつの時に弟子になられたのですか?
 
北河原:小学生の時に入寺しました。正月やお水取り、決まった日に、稚児衣装を着て出て行くことがありました。
 
歌枕:その御姿を、拝見したかったです。
 
北河原:中学3年生の時に、得度しました。得度をすると、衣を着せてもらえ、学校が休みの時には、寺の行事の時に末席に座らせてもらいます。ただ東京の学校におりましたので、大学で戻って来るまでは接点が少なかったですね。だからかあまり抵抗はありませんでした。
 
歌枕:別当をお務められ大変な重責を担われて、いかがでしたでしょうか。
 
北河原:光明皇后1250年御遠忌の大々的な行事など、様々なことがありましたね。また2011年には、東北の大震災がちょうど修二会(お水取り)の期間中にありました。これは、大変なことが起こったと、夜の行法前のお松明を見に来られた皆様に「犠牲になられた方のご冥福を祈ってほしい、被災された方のために力になってほしい。」と、メッセージをしました。東大寺にとって、東北は大変お世話になったところです。
 
歌枕:大仏建立のご縁でしょうか?
 
北河原:はい。盧舎那大仏の造営は天平時代の国家プロジェクトでした。とりわけ東北では当時、日本で初めて金が産出されて、大仏造営に大きな貢献をしていただいたのです。ですので、すぐに駆けつけたかったのですが、なかなか行くことができず、しばらくしてから宮城、岩手、福島の各県の被災地を回り、被災者が避難されている群馬県桐生市にも行きました。被災地に赴いても、被災した方々をお慰めすることしかできません。そこで、同行した当寺の僧侶たちと法要を営みました。
 
歌枕:皆様お喜びになられたことでしょうね。それにしても、東北の震災は大きなショックでした。
 
北河原:そういう意味では、災害というのは、心の災害もあって、もちろん諸施設の復興も重要なんだけど、最終的には、心の復興がなければ、本当の復興にはならないと思いました。
 
歌枕:本当にそうですね。目に見える被害と見えない被害がありますね。
 
北河原:当初より東大寺と鎌倉の鶴岡八幡宮は合同で、亡くなられた方の慰霊と一日も早い復興を願っての祈りを行っておりました。近年は、被災地で合同の祈りをしております。
 
歌枕:東大寺と鶴岡八幡宮は、どのようなご縁があるのですか?
 
北河原:鶴岡八幡宮とは、東大寺が平の焼き討ちにあった時に、源頼朝が助けてくれました。それからのご縁ですね。
 
歌枕:そのようなお話をお伺いすると、生きた歴史を感じます。
 
 
個性を生かす教育
 
歌枕:ところで北河原さんは、名門 東大寺学園の理事長をなされているとのことですが、教育現場はいかがでしょうか。
 
北河原:今は、進学校と言われていますが、自由な学校です。もともと東大寺学園は、戦前の頃、なかなか学校にいけず仕事をしている人たちのために、寺子屋形式で東大寺の中で勉強ができるようにはじまりました。
 
歌枕:寺子屋からはじまったのですね。
 
北河原:はい。そして戦後、学校制度が変わって、夜間高等学校と全日制中学を並列して作りました。その後、昭和37年頃に昼の高校も作ろうということになり、名前も改めて今の東大寺学園ができました。定時制の頃は、授業も持っていました。
 
歌枕:お寺の仕事をしながらですか?
 
北河原:はい。昼は寺の仕事、夜は学校の仕事です。若い頃だったので、教えている子も5~6歳下くらいで、3年間教えに行って、クラス担任もしていました。
 
歌枕:何をご指導されていたのですか?
 
北河原:国語の免許を取っていたので、国語を教えていました。いくら十代と言えど、社会に出て給与をもらっている人たちなので、昔から言う様に「教えることには学ぶことがある」ということを体験させていただきました。
 
歌枕:本当にそうですね。
 
北河原:中学だけの時代から、子供たちが良い高校に進学したので、成績の良い子供たちが入ってきました。ただはじめから進学のための学校を作った訳でないので、校風は自由で、クラブ活動が活発な学校です。世間の風評、評判は様々ですが、勉強ばかりでなく、好きなこと、個性を生かす教育をしていきたいです。
 
歌枕:すばらしいですね。
 
 
印度山日本寺
 
歌枕:また、長老になられてからも、いろいろな役職をお願いされるのではありませんでしょうか。
 
北河原:そうですね。最近では2016年7月より、インドブッダガヤにある印度山日本寺の第六代に就任しました。
 
歌枕:インドにある日本寺ですか?
 
北河原:はい。1965年にお釈迦様の聖地ブッダガヤに「仏教寺院を建設し国際融和と平和の拠点にしよう。」と、ネルー首相が宣言し、アジア諸国に呼びかけました。それに日本の仏教会が賛同し、財団法人国際仏教興隆協会を設立して、1973年に印度山日本寺を建立しました。
 
歌枕:竺主になられて、いかがでしょうか。
 
北河原:就任(晋山式)の時には、輿に乗っての行列で日本寺へ入り法要を行いました。普段は、宗派を超えて若い僧侶に交代で駐在をしてもらっています。機会を見つけては、いろんな宗派の若い僧侶に現地で務めてもらえるようにお願いしており、私も年に一回は協会の方々と様子を見に参ります。
 
歌枕:宗派を超えてのお寺というのが素晴らしいですね。具体的には、どのような活動をされているのですか?
 
北河原:主にブッダガヤの子供たちを対象に、無料幼児教育施設「菩提樹学園」や、無料医療施設「光明施療院」、「仏教学東洋学研究所」の設立などの活動をしています。
 
歌枕:意義深い活動ですね。
 
北河原:ぜひ歌枕さんにもご協力いただきたいのですが、若いお坊さんにこの日本寺について伝えてほしいです。また、読み終えた本やDVDなどを集めてご提供いただけると、子供たちの給食や教育に役立てることができます。
 
歌枕:ぜひお役に立てるようにしたいです。
 
北河原:よろしくお願いします。そして歌枕さんの茶論へ、歌を聴かせてもらいに、またお料理もなさってるそうで、一度お伺いしたいです。
 
歌枕:ありがとうございます。本日は貴重なお話をありがとうございました。また次回、新年号でのご登場をよろしくお願いいたします。
 
 
 
 
 

北河原 公敬(きたがわら こうけい)

奈良市生まれ、10歳で東大寺入寺、15歳で得度。龍谷大学大学院修士課程修了。東大寺執事長、上院院主などを歴任後、2010年5月、第220世東大寺別当就任、現在、東大寺長老。東大寺学園理事長、印度山日本寺の第6代竺主。