歌枕直美 友の会

うたまくら草子
歌枕直美の心から語りたい
vol.52 モシチブロツキ・ヴォイチェフ

日本に大変興味を持ってくださっているポーランド日本情報工科大学のモシチブロツキ先生にお話をお伺いしました。

■独立国家
   ・グダンスク

歌枕直美(以下歌枕):昨年に続き、今年もお招きいただきましてありがとうございました。

モシチブロツキ先生(以下先生):昨年の歌枕さんのコンサートに大変感動し、今年も来ていただけることをとても楽しみにいたしておりました。

歌枕:ありがとうございます。昨年、講義と演奏をさせていただいて、学生の皆さんの集中力がすごく日本に深い興味を持ってくださっているのを感じ、今年も楽しみに参りました。ところで、先生はもともとどちらのご出身ですか?

先生:私は、生まれながらのグダンスクです。

歌枕:日本人はグダンスクというと、(注1)ワレサしか知らないですね。

先生:ワレサさんの娘さんが、この学校で勉強しています。確かに、皆さんポーランドと言えば、ショパン、ワレサ、(注2)ジョンポールですね。

歌枕:そうですね。(笑)日本は島国ですので、海に囲まれていますが、隣の国との国境に山や川などの境界がありますか?

先生:国境はその時代ごとに動いてきましたので、境界がないですね。中世期の時、グダンスクは独立国家のようでした。グダンスクには、ドイツ人も多く住んでいますので、人から「ドイツ人ですか?ポーランド人ですか?」と聞かれると、グダンスクの人は誇りを持って「グダンスク人だ。」と答えます。

歌枕:自分の生まれた土地への誇りがあるのですね。 グダンスクは、ポーランドでも北にありますが、同じ国でも北と南、西と東では、気質など違いますか?

先生:しゃべりかたひとつでも違います。また、南の人は信仰が強くて、変化が嫌いです。西の人は、仕事熱心で、まじめな人。そして東の人は、ロマンティックで、大切なものは、1女性、2武器、3馬です。北の人は、海の人で、性格が我慢強いです。

歌枕:先生は、北の人ですよね。

先生:はい、私の大切なものは、1日本、2海、3家族ですね。

歌枕:ポーランドと日本との共通するところはありますか?

先生:精神、心、ときどき難しい歴史、そして自分の国家と文化への愛、それから、日本人とポーランド人はロマンティックな民族です。

■第二次世界大戦
     勃発の地  

歌枕:グダンスクの町のことを、ほとんどの人が知らないので、良いところを教えてください。

先生:ポーランドで最も古い街のひとつで、千年の歴史があります。古い教会がたくさん残っていて、中でもゴシック建築の教会が一番古いです。また一三五〇年に十字軍が造った水路が、今でも使われています。

歌枕:街が美しくとても素晴らしいです。また十字軍のお話は、トルンでもお伺いしました。

先生:トルン、マルボルク、グダンスクの3つの街は、十字軍と関わる街として似ていますね。日本の歴史はもっと長く古いので、ポーランドの歴史は、日本人から見ると古くないかもしれませんが、アメリカ人に話すと「わぁ~」と驚きますね。(笑)

歌枕:確かに!(笑)

先生:歌枕さんにぜひグダンスクのことを知っていただきたいので、街をご案内をさせていただきました。ここから車で三十分くらいのところに、第二次世界大戦勃発の地・ヴェルテルプラッテがあります。

歌枕:第二次世界大戦勃発の地ですか?。

先生:はい、ヴェステルプラッテというのは岬の名前ですが、一九三九年九月一日にドイツ軍が予告なしに砲撃をしてきました。その時、ドイツ軍は約二千六百名、ポーランドの守備兵は約二百名でした。ドイツ軍は、簡単に降伏すると思っていたようですが、グダンスク人は七日間戦い続けました。

歌枕:誇りをもって戦い続けられたのですね。そしてこの戦いが、第二次世界大戦のはじまりとなるのですね。

先生:そうです。また、グダンスクは商人の街として栄えました。ここの有名な飲物「黄金の水」は、ウォッカに黄金を浮かべて飲みます。こういう高価なものが飲めるというのもグダンスク人の自慢のひとつです。味はいかがでしたか?

歌枕:もちろんグダンスクの高価な味でした!!

先生:それは良かった。今回は、時間がありませんでしたが、次回は、ドイツ騎士団の防衛の要衝となっていたマルボルク城にも、ぜひご案内させていただきたいですね。

■「神風」

歌枕:ところで、先生が日本に興味を持たれたのはいつごろですか?

先生:小さい頃、歴史が好きで、「神風」の歴史を読んだ時に、子供なのに感動をして、日本人に興味を持ちました。歌枕さんが講義で話されていた、特攻隊の方の手紙を読んだ時の気持ちが、良くわかります。

歌枕:素晴らしい感性ですね。日本との接点はあったのですか?

先生:私の十歳の時の夢は、「日本に行くこと」でした。でも、その頃、ポーランドは、隣の国へ行くことさえ難しい時代で、母は「もっと叶う夢をもちなさい。」と言いました。
でも、私は日本に行くことができました。

歌枕:夢が実現したのですね。

先生:はい。この国が日本の方には想像ができないほど変わったからです。一九八九年ワレサの政策より二十年間で大きく変化しました。共産主義国以外の人は理解しにくいかもしれませんが、お金を持っていても物が買えない時代でした。それをイメージするなら、今の韓国と北朝鮮くらいの違いがあります。今は本当に良い時代がおとずれ、日本にも行くことができました。

歌枕:日本のどちらにいらっしゃったのですか?

先生:茨城県、常陸へ研究に行きましたが、父が病気になり一人息子なので、戻らないといけなくなり留学は中断されました。

歌枕:残念でしたね。それでも日本への思いを持ち続けられたのですか?

先生:はい。卒業の時、2番目の論文に、(注3)大西瀧次郎についてとり上げました。ポーランドでは誰も知らなくて、いつも「誰ですか?」と聞かれ説明していました。

歌枕:大西瀧次郎のどういうところに感銘されたのですか?

先生:国家を思いやる心、それが義務、その人の命がどのような選択をしても、悪い選択になるのに、それはシェークスピアの運命のように、さからえない運命の様で、それはとても美しくさびしいと感じました。

歌枕:人の運命ですね。先生のこれからの夢はありますか?

先生:私の今の夢は、「もう一度日本に戻ること!」です。そしてその時は、靖国神社へ行きたいです。

歌枕:ぜひ日本にいらしてください。今日は、貴重なお話をありがとうございました。


注1)レフ・ヴァウェンサ…日本では「ワレサ」で知られる。ポーランド共和国第三共和制第二代大統領。ノーベル平和賞受賞者。
(注2)ジョン・ポール(英名)…ポーランド人初の第二四六代ローマ教皇。福者ヨハネ・パウロ二世。
(注3)大西瀧次郎…海軍中将「特攻隊生みの親」とされ、特攻隊を送り出し、終戦後、全責任を取り割腹自決をした。

Wojciech Moscibrodzki (モシチブロツキ・ヴォイチェフ)

1973年、グダニスク市(ポーランド)生れ

(学歴)

1997年 グダニスク国立大学情報工科学部 卒業

2003年 グダニスク国立大学マーケティング学部博士前期課程 卒業

2007年 ヘルシンキ経済大学Executive MBAコース

2007年 オクスフォード大学Political Thoughtコース

2011年 経済・文系科学大学政治学部

現在  ポーランド日本情報工科大学博士後期課程

(経歴)

1977-2004年 グダニスク国立大学 助教授

2001-2003年 DGT Ltf会社 情報工科部長

2004-2007年 Telekomunikacja Polska会社のSkill Center部長

2007-現在  ポーランド日本情報工科大学の准教授、副学部長及びニュー・メディア学部長