歌枕直美 友の会

うたまくら草子
歌枕直美の心から語りたい
vol.45 中谷剛

ポーランドでの永住許可を取得し、アウシュビッツ博物館にて12年間、ミュージアム外国人公式ガイドとして務められている中谷剛さんにお話しをお伺いしました。

■ポーランド在住

歌枕直美(以下歌枕):歌枕直美(以下歌枕):お久しぶりです。2年前に、アウシュビッツを案内していただいて以来です。日本に帰国してから、中谷さんの書かれた本を読ませていただきました。

中谷剛(以下中谷):それはありがとうございます。ご遠方より、今日もようこそお越し頂きました。

歌枕:アウシュビッツのことは、暗い歴史と遠ざけていらっしゃる方もありますが、私は、行きたいという思いが強くありました。そして、訪れ中谷さんのことを知り、ぜひ少しでも多くの方に、中谷さんの存在を知ってもらいたいと思いました。

中谷:ありがとうございます。私は、問題意識をもってアウシュビッツを訪れる方とお話をします。これは重要なことですが、それだけでは、意味がないように感じます。今まだ興味がない、知らない方へ伝えていかないといけないと思いジレンマを感じています。ですから歌枕さんのように、伝えようとされる方の力がとても重要と思います。

歌枕:私の力などとるにたらないものですが、よろしくお願い致します。まず、中谷さんがポーランドへ来られ、永住しようと思われたのはどういうきっかけだったのでしょうか。

中谷:ありがとうございます。私は、問題意識をもってアウシュビッツを訪れる方とお話をします。これは重要なことですが、それだけでは、意味がないように感じます。今まだ興味がない、知らない方へ伝えていかないといけないと思いジレンマを感じています。ですから歌枕さんのように、伝えようとされる方の力がとても重要と思います。学生時代に旅をして、歌枕さんと同じようにポーランドの人たちと出会いました。そして、私たち日本人は、先にいるように思っているけれど、大事なものを忘れてきているということを教えていただきました。

歌枕:旅が、大きく人生を変えたのでしょうか。

中谷:ただ、その時は旅行で終わりましたが、就職をして、3年で会社をやめてポーランドへきました。

歌枕:大きな勇気と決心ですね。

中谷:いえ、その頃はまだバブルの時代でしたから、就職への危機感はありませんでした。辞めても上司から「また戻ってこい」と、言ってもらえる時代でした。

歌枕:今なら考えられませんね。それでポーランドへ来られて、言葉は大丈夫でしたでしょうか?

中谷:はじめは、言葉もわからないので、レストランでボーイをしていました。永住許可書が必要なのですが、中々取れなくて、半年間、県庁に通い、熱意が通じたのか、役所の方が親切だったのか「永住許可」がでました。

歌枕:幸運ですね。「永住許可」は、なかなか取得できないのではないでしょうか。

中谷:はい。他に、建築現場などで働きましたが、辞書に載っていない言葉「ばかやろう!」とか、道をあるいていて話している言葉がわかるようになりましたのが、その後の役に立ちました。
■次世代の役目

歌枕:それでどうしてアウシュビッツ博物館で働こうと思われたのですか?
中谷:テーマは「自由」だったからです。旅行で来たときに、ポーランドの学生と話して、自由のために戦っている人がいるんだ、自分は恵まれていてそんなことを考えたことがなかった。

歌枕:とても良くわかりますし、私は「自由のために戦う」というと、たとえば「レ・ミゼラブル」などを通して感じますが、それは疑似体験です。

中谷:私は、戦争に関係する場所も、日本にいる間は行ったことがありませんでした。良い大学を出ているわけではないし、頭もよくない、机に座って研究するより、体で覚えるということを思って、そこに入って働くことで学べると思いました。

歌枕:12年間、アウシュビッツで毎回、新鮮な気持ちで伝えていくということは、とても大変なことだと思いますが、いかがでしょうか?

中谷:またこの話がではなくて、相手の話によって答えているわけで、これはマンネリにはならないのですね。テーマが奥深いので、同じようなことでもまだ答えが見えていないので。そして、私は、研究者ではないので、研究されたことを話し、その土壌を作ることが役割です。

歌枕:深いお言葉ですね。前にお伺いした時、アウシュビッツでの生還者の方がいらっしゃいましたが。

中谷:しかし生還された人たちは、収容所の中でのことはご存じだが、全体像を知らないこともある。経験者の話は貴重ですが、全体を見て伝えるというのが、次世代の役目で、それが重要だと私は思います。

歌枕:そうですね。ここを訪れた私たちが、その事実を見聞きし、その体験をその後、どのようにするのか、自分に何ができるのかを考え行動することが重要ですね。

中谷:はい。座布団の上に自分が座っていて、問題について語っても見えないことがある。日本の問題、アジアの問題を考えるとき、自分が座布団からおりて、外から考えてみることが重要だと思いました。
■時代の変化

歌枕:この12年間で変わってきたと思われることはありますか?

中谷:ありますね。今が、一番変わっていっている時だと思います。経済不況で、時代が良い時より、悪い時のほうが、わかってくれる人が増えてきたように思います。昔、父の時代はレールの上を歩いていたら将来が約束されていましたが、その時より、感じる人が若い人にも出てきました。

歌枕:素晴らしいことですね。これからも生涯ポーランドで、またこのミュージアムで頑張っていかれるのですか?

中谷:博物館との契約は2年ごとですが、これがずっと続くとは思っていません。社会が変わってこういうことを伝える価値がなくなったり、私自身がそれを伝える価値感を失ってしまうかもしれませんし、聴いてくださる方がなくなるかもしれません。

歌枕:確かに自分の思いと、求める人があって成り立つことですね。

中谷:そうですね。日本で25年、ポーランドで25年、あと25年はどこか暖かいところで暮らしたいなんて夢も持っています。(笑)

歌枕:それは、いいですよね。

中谷:今、ポーランドに住んで19年。25年まではここでいますよ。ぜひ、来年は、歌枕さんの和歌劇をポーランドで拝見したいと思っています。

歌枕:はい。ぜひ、見ていただきたいです。本日は、貴重なお話をありがとうございました。

*今号の対談は、昨年11月のポーランドコンサートツアーの時に行いました。

中谷 剛 (なかたに たけし)

1966年兵庫県神戸市生まれ。

1991年よりポーランドに居住

1997年、ポーランド国立アウシュヴィッツ・ミュージアムの公式通訳の資格を取得。

現在、同ミュージアムの外国人公式ガイド(嘱託)。

通訳・翻訳家。オシフィエンチム市在住。

著書に『アウシュビッツ博物館案内』(凱風社)、『ホロコーストを次世代に伝える』(岩波ブックレット)。