歌枕直美 友の会

うたまくら草子
歌枕直美の心から語りたい
vol.39 森下豊

日本誕生の地、藤原京のある橿原市の森下豊市長に、橿原市への思いと歴史について、お話をお伺いしました。

■医療より政治へ

歌枕直美(以下歌枕):今年は、「ムーンライトIN藤原京」でのコンサートで演奏させていただくこと、大変嬉しく思っております。

森下豊市長(以下森下):こちらこそ、よろしくお願いします。

歌枕:森下市長さんは、医師をされていたとお伺いしました。政治の道への転身はどのようなきっかけがおありだったのでしょうか。

森下:祖父も父も県会議員でしたが、そういった環境が嫌で、憧れていた医師になりました。そうしている間に父が倒れて、戻ってこいと言われました。

歌枕:医療の現場で頑張っていらっしゃたのだから、そういわれても・・・。という思いはなかったのでしょうか。

森下:長男であり、父が30年議員をやっていた関係と、後援会の方々からの話もあって、戻るしかありませんでした。しかし、この政治の世界に入り、県会議員を10年務める中で、父や祖父は素晴らしい仕事をやっていたんだということがわかりました。これは自分自身が経験しなければわからなかったことでもあります。

歌枕:それは実体験の中で思われたのでしょうか。

森下:高度成長期が終わり、右肩上がりもなくなり、公共事業のあり方等、ここ10年の間に急激に世の中が変りました。世界における日本を考えた場合、アメリカについていくだけではだめで、中国、韓国と一緒にアジアの中心として、核や地球温暖化等も含めて、誰になんと言われようと自分の考えを言っていかないといけないと思いました。

歌枕:市長さんは、全然違う環境にいらっしゃったので、透明な目で受け止めることができたのではないでしょうか。

森下:ありがとうございます。偉そうなことを言いますが、日本としての役割があると、思うようになりました。(笑)

■奈良・橿原市

歌枕:橿原市長へとなられたきっかけはどういうところからでしょうか。

森下:まず自分たちの住む街は、古い都があった場所であるのに、大阪や京都の真似をしているのではだめで、もっと奈良が自分たちについて来いと言って引っ張るぐらいのつもりでないといけないと思いました。そして橿原市は、中南和の中心にならないといけない街だと思います。

歌枕:橿原市には、日本国誕生の地「藤原京」があり、日本の中心だったところですね。

森下:そうです。この地は、そいう古代からのエネルギーのある土地でもあります。もう一度、自分たちの街の役割を考え直し、奈良県全体が元気になるように、そして核になれるように頑張らないといけないと思います。

歌枕:大切なことですね。

森下:橿原市は、市民にとっては当たり前ですが、全国的にはまだ有名ではありません。隣接する明日香村が、全国的にも有名です。しかし、観光旅行のツアーとなると、明日香ツアーの後には、東大寺や京都方面になってます。橿原市は、約40平方キロメートルの小さな街に人口12万5千人が住んでおり、交通の要所でありながら、通過地点になってしまっています。

歌枕:そうですね。明日香へ行くのも、電車や車でも、橿原市を通りますね。

森下:これではいけないので、合併するというのではなく、一緒に協力しないといけないと思っています。昨年、世界遺産登録候補の暫定リストに「飛鳥・藤原京」として上がりました。

歌枕:“共”にという考え方が素晴らしいですね。

森下:二つが一緒になったら、×2じゃなく、×何乗にもなるはずです。そういう街づくり、地域づくりにしていきたいと思っています。

歌枕:医療の世界と政治の世界、その両方を仕事とされていて良かったところはありますでしょうか。

森下:医療の世界も狭い世界であり、決まった形の中で、人の命と一生懸命向かい合っています。しかし、原点は、人と人との対話になります。それは患者さんであったり、ご家族やスタッフでもあります。医師ひとりではなにもできないので、そういった仕事をしてきた関係上、今でも現場の人たちの声をよく聞かないといけないと思っています。

歌枕:人が連携をし、共に生きていく。それはすべての原点ですね。
■神の山「大和三山」

歌枕:私の歌っている万葉集もそうですが、日本の歴史としてかけがえのないものだと思っています。歴史的な地「藤原京」のある橿原市をどのように考えていらっしゃいますか。

森下:幸せなことにここは、日本のはじまったところでもあります。日本ができたところですから、大きな声で言えるわけです。ここに住んでいる市民がもっと誇りを持ってもらうということが、この街をよりよくしていく一番大事なことだと思っています。子どもたちの教育でも、国のカリキュラムだけでなく、この橿原で育ったことを誇りに胸をはって生きなさいと教えたいです。

歌枕:そういう教育が必要だと思います。高度成長期に育った私は、特に学生時代西洋音楽を学んできましたので、大阪より東京、日本よりアメリカ、ヨーロッパが凄いと教育を受けてきました。でも大人になり、違和感を感じ、日本人の誇りをもてる仕事をしたいと思い試行錯誤し万葉集にたどりつきました。

森下:素晴らしい活動をされていると思います。万葉集は、1300年前に生きた人の心の叫びが出ていると思います。今度、歌枕さんに歌っていただく「藤原京」は、平城遷都1300年に向けて、コンピューターグラフィックでの再現を作成中です。

歌枕:たびたび藤原京を訪れ、その場にたつとここは気が通ったところだと感じました。その歌が歌われたこの場所でいつか歌いたいと、願っておりました。10月4日「ムーンライトIN藤原京」で歌わせていただけること、大変光栄に思っております。終曲は、「藤原京の歌」で締めくくります。

森下:大和三山は神の山です。藤原京は、その中心に都を設けられています。コンサートでは、その神のエネルギー、自然のエネルギーを受けられて、皆様にその素晴らしい歌を発信していただきたいと思います。

歌枕:ありがとうございます。10月4日どうぞよろしくお願いいたします。

森下 豊(もりした ゆたか)

(生年月日)昭和33年4月3日

(学歴)昭和61年3月 兵庫医科大学卒業

(職歴)

平成4年5月 森下内科医院開業

平成7年1月 社会福祉法人豊生会設 (理事長就任)

平成7年4月 奈良県議会議員初当選

           以降連続3期務める

(現)奈良県橿原市長(平成19年11月12日就任)

橿原市(かしはらし)

奈良盆地南部の市。

総人口約125,000人と、奈良市に次ぐ県下第二の都市です。市名は「神武天皇橿原の宮」に由来しています。

また、畝傍山、耳成山、香久山の大和三山に囲まれた約1300年前我が国初の首都の藤原京をはじめ、 日本建国ゆかりの地として創建された橿原神宮、江戸時代に商業都市であった今井町など歴史資産が数多く残されています。