歌枕直美 友の会

うたまくら草子
歌枕直美の心から語りたい
vol.34 大門康剛

文政9年(1826年)に、大阪北部河内平野の磐船村に酒屋半左衛門として創業され
た大門酒造・酒半の6代目大門社長にお話しをお伺いしました。


■放浪の旅

歌枕直美(以下歌枕):大変ご無沙汰いたしております。酒蔵でのコンサートの時には大変お世話になりましてありがとうございました。

大門康剛(以下大門):素晴らしいコンサートをありがとうございました。

歌枕:大門さんは、この歴史ある酒蔵の何代目になられるのですか?

大門:6代目です。

歌枕:この家に生まれられて、跡継ぎと決められていたのですか?抵抗はなかったですか。

大門:そうですね、昔は長男というと扱いが違いましたし、祖母やまわりの人々は継ぐのが当たり前と思っていましたね。これはまずいと、大学を3年で休学して、家を飛び出しました。(笑)

歌枕:それで世界行脚に出られたのですね。

大門:はい。伝統産業が良いものだというのは、後になってわかりましたけど、その時は出来るだけ遠くへ行きたいと思い、中近東、インド、北欧とさまよい歩きましたね。

歌枕:言葉も生活も何もかも違う、異文化の中で大変な経験ですよね。何年行かれたのですか。

大門:はじめは1年ぐらいのつもりでしたが、結局6年になりました。

歌枕:その間は、向こうで働きながらですか。

大門:はい、もちろん皿洗いとか、中小工場での短期労働とかして、生活費を稼いでいました。

歌枕:どうして6年間の旅になったのですか。

大門:それは一言で言うと「縁」ですね。普通、旅にでるのは目的があるけれど、自分にはなくて。その時は、自分で考えたつもりでも後で考えるともっと大きいものや、出会った人に導かれていたと思います。

歌枕:何か見つけられたことはありますか。

大門:人はそれぞれその場所に生まれた意味があるのだと思いました。みかけの悟りではなくて、生を受けたところで悟りを開くことが、自然で大切なことと思うようになり戻ってきました。

■酒蔵の再構築

歌枕:大門さんが戻ってこられて、酒蔵を継がれた時は、日本酒業界というのはどういう状況だったのですか?

大門:作り手・売り手市場で楽な状況でしたね。高度成長期より、日常的にお酒が飲まれてどんどん消費量が増えていったピークの頃でした。

歌枕:昔、父が飲んでいたお酒が、お酒くさいというイメージがありました。(笑)

大門:品質にも、自分の蔵のお酒の魅力というのにもこだわる必要がなかったんですね。その結果、どんどんお酒を好む人がなくなりどん底まできました。10年ごとに1000軒づつくらい酒蔵が減ってきて、30年たつと今1500軒ぐらいになりました。

歌枕:そうなんですね。そこから、この日本酒業界はどのようにしてこられたのでしょうか。

大門:明確に品質を向上させ、自分たちはどういう考えで、どのようにして造っているのかを語らなければいけなくなりました。これは当然のことで、昔からしないといけないことなんですが、なかなかしていなかったんです。

歌枕:それぞれの蔵の個性、魅力を、本物を問われる時代になったんですね。

大門:はい。歌枕さんはそれを行われてますよね。ビジネスモデルの構築として、ただ音楽をやっているのではなく、「万葉」というコンセプトがあり「やまとことば」を歌うという自分のオリジナルをつくられ、本物の音楽を奏でる。さすが明確ですね。

歌枕:ありがとうございます。私の場合、はじめにマーケティング理論があるのではなくて、本能的なものでおはずかしいです。(笑)

大門:歌枕さんはコンサートのみでなく、ピアノ、教育の事業があって、企業としても素晴らしいと思います。私共ですと、酒造りという中心の柱があって、高い水準のものをつくり、そして酒造りの体験やお食事どころの経営、また海外輸出などサブの柱を考えています。
■啓蒙活動と発信

歌枕:大門さんは、日本酒を世界に広める活動をアメリカでされていると以前伺いましたが、それはどのような形でおこなわれているのですか。

大門:ニューヨークをはじめ全米で、日本酒文化を普及する啓蒙活動を続けています。お酒のテイスティングやセミナーを繰り返し行っていく中で、ワイン業界の人達が興味を持ってくれるようになりました。

歌枕:啓蒙活動ですね。

大門:外国人向けの日本酒を紹介するサイト「イーサケドットコム」という、英語で紹介するサイトを98年に立ち上げたんですね。それまで、英語で日本酒をセールスするということを誰も考えていませんでした。するとダイレクトにアメリカの消費者の世界、リカーショップの世界で認知されていったんです。

歌枕:そういうことを発想されたり、向こうの方とコミュニケーションをとり実現されたのは、昔の放浪の旅での経験が生かされていらっしゃいますね。

大門:そうですね、今思うとその頃が準備期間だったんでしょうね。そして今、蔵元という位置、立場というのが、ありがたいことだと、ご先祖さまのお陰だと思います。

歌枕:そうおっしゃれるって、素晴らしいですね。大門さんは自分の世界を全うされています。

大門:ある意味年を重ねることはすごいことで、昔はわからなかったことが、わかってきます。続けていけるのは有り難いことだと、人の出会いは素晴らしいことだと思います。歌枕さんの音楽をぜひ世界へ広めてください。

歌枕:私も、先人に感謝し、日本の誇るべきものを、世界へ発信していけるように努力していきます。


大門 康剛(だいもんやすたか)

1969年から1974年まで、欧州、北アフリカ、中近東を放浪。2年間インドで滞在する。

1975年、家業である大門酒造に入社

1993年、代表取締役就任。酒半六代蔵元。

1999年、eSake.com Inc.設立。代表取締役就任。

抱負:先祖が残してくれたこの酒蔵を舞台として、酒と食を中心としたときめきの場、「酔トピア・さかはん」(すいとぴあ)を実現したい。そして、eSAKE.comを、「酒を通した日本文化のポータルサイト」として育て、世界中の皆さまに日本酒と日本文化の素晴らしさをお伝えしたい。