歌枕直美 友の会

うたまくら草子
歌枕直美の心から語りたい
vol.24 鈴木 寛治

■三輪山

歌枕直美(以下歌枕) いつも応援をしていただいてありがとうございます。新しい年を迎えるにあたり、三輪さんへお伺いしたくなりました。

鈴木宮司(以下鈴木) いつも楽しみにしております。今年十六年から献詠祭を始めました。これを考えたのは、歌枕さんのご活躍を拝見していたのがきっかけだと思います。

歌枕 大変光栄です。

鈴木 昔の人もここ三輪で霊気を感じて歌を詠まれました。歌枕さんも拝殿で歌われる時、この霊気を感じていらっしゃるでしょう。

歌枕 はい。拝殿で歌を奉納させていただく時、自分であって自分でない気がします。また万葉集の活動の一曲目が「三輪山」でした。この曲ができた時、生涯の仕事と確信しました。不思議な縁を感じます。

鈴木 靖國の時は神は信じるものとの思いが強かったのですが三輪に来て人間よりすごいものが沢山ある環境から神は感じるものとのことに気づきました。この環境を守らなければ伝えなければと思いました。

歌枕 そう思って先人の方々が守ってこられているのですね。

鈴木 ここの神様は、不思議です。太鼓と同じで、強く打てば強く響く、弱く打てば弱く響く。ここの神様を祈るとき、皆様真剣に祈られるので、神様も真剣に応えられる。それはここの環境、空気がそうさせます。

■魂のこもった言葉

歌枕 靖國神社といえば、首相の参拝などでニュースになっていますが、情報で間違った認識を与えられがちですがいかがでしょうか。

鈴木 戦前まで全国の神社は市町村や県・国で管理されていて靖國神社は陸海軍で管理されていました。即ち宗教ではありませんでした。それが今日宗教の枠で捉えますので色々と矛盾が生じるわけです。しかし常に忘れてならないのは神社に祀られている方々の気持ちであります。これが今日の靖國問題の議論の中で無視されていることです。

歌枕 私は以前、仕事で東京に行ったとき、靖國神社へ参りました。置いてある戦没者の本を拝見して涙がでました。

鈴木 遺書は偽りのない言葉、魂のこもった言葉です。皆心に響きますね。

歌枕 10数年前、鹿児島の知覧の特攻隊記念館へ行き、特攻隊の方の遺影や遺書を見て衝撃を受けました。それまでは、歴史、特に昭和史が抜け落ちていて、自分が生きていることと音楽をやっていることがつながっていないことを感じてショックでした。その時、何かつながることをやりたいと思い、その後いろんな出会いがあり万葉集につながりました。

鈴木 戦没者は好むと好まざるによって戦争にいったわけです。私が奉職した当時戦没者は戦争に行ったということで冷たい目で見る空気がありました。しかし今日は時代も落ち着き万葉集のシコの御盾という見方がされるようになりました。

■清 明

歌枕 ところで大神神社の宮司になられると思っていらっしゃいましたか。

鈴木 全く先のことは考えていませんでした。前木山宮司が退任されるとき「鈴木に任せたい」と言って下さいました。

歌枕 責任が重いことだと思うのですが、そう言われてどう感じられたのでしょうか。

鈴木 平成の大造営の中で、勅使殿が残されていましたし前宮司のやり残したことをまずやらなければと思いました。

歌枕 きっと鈴木宮司様の天命でいらっしゃったのでしょうね。

鈴木 ハード面が充実しましたのでそこに魂を入れるのはソフト面の充実であります。今年八月三島由紀夫の碑を境内に建立しました。碑文の「清明」は三島氏が境内で感じた空気です。我々はこの空気を永久に守らなければと強く思っております。

歌枕 清く明るい。そういう心持ちで生きていきたいですね。しかし現実にはなかなか…。

鈴木 私たちは出来るだけ平然としてるようにしていますが水面下ではアヒルといっしょで必死に足を動かし、いい参拝が頂けるよう心がけております。

歌枕 アヒルのたとえはわかりやすいです。(笑)。

鈴木 しなければならないこと沢山ありますが常に神様の御心に叶わなければなりません。歌枕さんが神様に望まれ天職として歌われていることと同じであります。

歌枕 天職と信じて歌い続けさせてもらいます。本日は、勇気づけられるお話しをありがとうございました。

鈴木 寛治 (すずき かんじ)

大神神社宮司。

昭和19(1944)年愛知生まれ。

昭和43年、皇學館大学卒業。同年靖國神社に奉職。熱田神宮を経て平成3年7月、大神神社権禰宜に就任。

平成4年「平成の大造営奉賛会」事務局次長。

平成9年同社総務部長を経て、平成12年2月に禰宜、同年7月から権宮司、平成14年7月に宮司に就任。