歌枕直美 友の会

うたまくら草子
歌枕直美の心から語りたい
vol.19 小野和子

奈良・名勝 依水園を継承されていらっしゃる小野和子さんに、風の心地よいお庭でお話しをお伺い致しました。

■名勝 依水園

歌枕直美:若草山、春日山、御蓋山そして東大寺の南大門の屋根が見え、本当に見事な借景ですね。この美しいお庭で、昨年に引き続きコンサートをさせていただけること大変嬉しく思っております。ここはいつできたのでしょうか。

小野和子さん(以下敬称略)曾祖父は、神戸で仕事に成功し、出身の奈良に美術館をつくりたいとここを買いましてから、代々管理を受け継いで、私が四代目になります。

歌枕:曾祖父様をはじめその時代の経済人の方は、自分のためだけでなく、社会や文化に貢献していた徳のある方が多かったですね。私たち現代人と違い懐が大きいような…(笑)。

小野:そうですね。でも、かなり戦時中に美術品がやけてしまったり、またここは軍が駐留したりしたためかなり荒れてしまいました。戦後、公開のために庭や日本家屋の修理をはじめまして、とりかかって二〇年経ってやっと元に近くなったそうです。木は荒れると剪定のやりなおしになりますので、また、美しい姿になるまでに大変年数がかかります。

歌枕:古い木で何年ぐらいですか?

小野:二〇〇年以上ですね。どの様な姿が日本庭園としていいのかを、先生方や整備委員会の方にご相談しながら管理しています。

歌枕:木の緑にもこんなに色の種類があるのかと、ここへ来させていただくといつも驚きます。小野さんはこの素晴らしい環境で育たれ、そして守って来られたのですね。

小野:この中で生活しているときには、その美しさとかに気がついていませんでしたね。外へ出て戻ってきてはじめて、気がつきました。

■ 庭の生命力

歌枕:何がきっかけで、依水園を受け継がれたのですか?

小野:阪神大震災が人生の転機になりました。地震の後、神戸の町をみると、家などはすべて壊れているのに、庭の緑が生き生きとして光っていました。

歌枕:自然の生きる力ってたくましいですね。

小野:はい。人が作った物は、跡形もなく壊れているのに、自然のものは残っている。それを見て、物欲がなくなって、生きていたら何でもできると思いました。

歌枕:地震が運命を変えたのですね。

小野:主人が「この庭は、守ってきたから残ったのではなく、この庭に残るだけの生命力があったからだと思う。」と父に言ったのがきっかけになって「ここを継いでもらえないか」という話になり、主人のおかげで引き継ぐことになりました。

歌枕:素晴らしいご主人ですね。(笑)

小野:はい。(笑)共に、マイナスを考えずプラスだけを考えて、取り組めるようになりました。

歌枕:このお庭を管理されていて幸せに感じるときはいつですか。

小野:早朝に庭の奥にあるお稲荷さんにお参りしているとき、木や山すべてのものに宿る八百万の神が、守ってくれていると感じます。

■茶論(サロン)花咲く

歌枕:奈良と京都を比較される方が多いですが、どう思われますか?

小野:文化の基を作ったのが奈良で、華開いたのが京都。京都へつなぐ源がここにあったと感じます。

歌枕:そうですよね。万葉の時代の奈良は、シルクロードを通っていろんな文化が入ってきて日本文化の基になっていることが多くあると思います。

小野:ここで「天平茶論(サロン)」という会を作っています。仏教が伝来した時に、お茶も入ってきて、聖徳太子もお茶を飲んだはず…と、お茶のはじまりを調べています。

歌枕:どうしてお茶にこだわられるのですか?

小野:文化は奈良から発信しているのに、「お茶は京都宇治」と思われていて、今まで調べられていなかったんですね。長屋王の屋敷址からも、「荼」という文字の木簡などがでてきて、お茶はやっぱりあったのではないかと。

歌枕:長屋王ですか。今回のコンサートの一部は、長屋王佐保邸での宴のお話しでした。

小野:はい、コンサートの時、屋外の自然やお庭にむかって奏でてくだる。全体でとってもいい響きで、歌枕さんの音楽が自然と一体になっているように感じました。

歌枕:雨になりましたが、小野さんの智恵と工夫の結晶の番傘が大変美しく、風情のあるコンサートになりました。ありがとうございました。

小野 和子 (おの かずこ)

聖心女子大学文学部歴史社会学科卒業。

財団法人寧楽美術館・学芸員として勤務。

2001年、父中村準佑館長の他界後、財団法人寧楽美術館及び名勝依水園の経営・管理にあたり、学芸員として現在勉強中。

フォーラム天平茶論(日本にお茶が伝来した歴史を研究する)事務局長をつとめる。