歌枕直美 友の会

うたまくら草子
歌枕直美の心から語りたい
vol.17 松前幸子

歌枕の音楽の才能を最初に見いだしてくださった恩師・松前幸子先生に、小学生時代を過ごした長居(大阪市住吉区)でお目にかかり、懐かしいお話を数々お聞かせいただきました。

■三十年の歴史

歌枕直美(以下歌枕)来年は大阪すみよし少年少女合唱団30周年おめでとうござます。

松前幸子さん(以下敬称略)直美ちゃんが、小学校6年生になって「今」と思って創った合唱団が30年になります。記念コンサートには、直美ちゃんにも歌っていただきたいわ。

歌枕:ぜひ、お願いします。先生にお会いしたのは、小学3年生の時でした。音楽の授業が楽しくて仕方ありませんでした。

松前:その当時の長居小学校は、下町っ子で、明るくて、勉強がよくできる子供達でびっくりしました。

歌枕:高学年の歌の好きな生徒を集められ熱心に指導して下さいました。それでわずかの期間でコンクールに入賞していきましたね。

松前:そう、あなたに伴奏を弾いてもらって『毎日学生音楽コンクール』で西日本一位に、『NHK合唱コンクール』では近畿代表になりましたね。

歌枕:はい。かなりしっかり鍛えていただいたような…。(笑)

松前:私も若かったしこわかったでしょう。(笑)そして、当時西六郷少年少女合唱団の鎌田先生が、大阪に児童合唱団をつくればと言ってくださって、合唱団ができた。あなたが伴奏を弾いていなければこの合唱団は生まれてなかったですよ。

歌枕:「合唱団を創りたい。」とお声がけをしていただいたとき11才で、今になってよくそんな子供に向かい合って話をしてくださったと驚いています。

松前:直美ちゃんを尊敬していましたし、とても頼りにしてました。あなたも食いついてきてくれましたので、必死で教えました。真剣勝負でしたね。
■芸術教育は心の教育

歌枕:小学校の先生をされながら、何故、合唱団を創られたのでしょうか?

松前:文部省での限られた学校の枠ではできないことがあると感じ、それで、はじめたんです。

歌枕:先生は最先端を歩かれていたんですね。

松前:その当時から、子供達にも、父兄にも話していましたが「芸術教育は、教育の基本、心の教育」だと信念を持っていました。

歌枕:そうですね。子供時代の芸術教育は本当に大切と思います。確かその頃、流行かけていた進学塾の先生にお話しに行かれていた姿を思い出します。迫力がありました。後ろ姿が!(笑)

松前:私は受験勉強中心の教育が今の問題を作っていったと思います 。

歌枕:あの時必死で受験勉強をしていた人達は今何をされているのでしょう?(笑)
■「自分の道は、自分で開く」

松前:直美ちゃんの万葉集のCDを聴かせていただきましたよ。すっとした発声法が、万葉の歌にとってもあっていると思いました。でも、その素敵な発声が今まで日本ではあまり認められなかったですね。

歌枕:そうかもしれません。ヴィブラートがきつすぎる発声が日本語にあうとは思えなくて、自分の心地よい発声を探して、今の声の出し方になりました。

松前:子供の時からあなたの「一生懸命さ、前向きさ、カラッとした明るさ」は変わっていないですね。きっとこれからも変わらないでしょう。そして、10年、20年と歳を重ねて、重みが出て深い意味がでてくると思います。

歌枕:そのような生き方ができると理想的です。

松前:これからも音楽を通して、人に幸せを送り続けてください。

歌枕:そうあれるように努力します。音楽教室の横の先生のお部屋の壁に、『道』という字の「書」がかかっていたのが心に残っています。「自分の道は、自分で開く」ということを、その頃教えていただいていたのだと感謝しています。本日は、ありがとうございました。


松前 幸子 (まつまえ ゆきこ)

1955年4月北恩加島小学校赴任 1971年まで勤務。

長居小学校を経て、1996年3月南田辺小学校で退職。

全日本NHK音楽コンクール銀賞、毎日学生音楽コンクールでは3年連続日本一。

1974年大阪すみよし少年少女合唱団創設・主宰し指導を務める。

創設以来毎年定期演奏会を開催28回を数え、大阪を代表する合唱団となる。内外の著名な合唱団と交流、さらに交響楽団・オペラ・バレエとも共演している。ハンガリー・ブルガリアなど海外での演奏も多く、各演奏地で絶賛と好評を博している。