歌枕直美 友の会

うたまくら草子
歌枕直美の心から語りたい vol.16 北河原公敬師

奈良・東大寺執事の北河原公敬師をお尋ねし、はるか1200年の昔から現代に引き継がれてきた「二月堂修二会~お水取り」のお話や17年前の歌枕との出会いの話などをおうかがいしました。

*2004年2月8日、華厳宗大本山・東大寺 執事長になられました。


■「我以外皆師也」
 
歌枕直美:先日は依水園でのコンサートに、お越しいただきましてありがとうございました。
 
北河原公敬師(以下敬称略)久しぶりに聴かせていただきました。歌枕さんとはじめて会ってから随分になりますよね。
 
歌枕:はい、大学を卒業した頃でした。北河原さんがいらっしゃった東大寺の整肢園(重度の障害をもった子供達の施設)でのコンサートをさせていただきました。
 
北河原:あの時は、言葉と身体が不自由で車椅子にすわっていた子供が、あなた方の歌を聴いて、音楽に合わせて体を動かし一心不乱に集中している姿に魅せられましたね。我々健常者があれだけの意気込みを持って、様々な事柄に対処できているのかを子供の姿を見て考えさせられましたね。
 
歌枕:私はその純真さに勇気づけられました。
 
北河原:華厳経の教えの中に「善財童子」のお話があります。一人の青年が文殊菩薩に「仏の教えとは?」と問う。文殊菩薩は南を指し「先生がいる南へ行きなさい。」と答え、青年は南に行き先生に出会い教えを請う、また次へ行き出会った人に教えを請う、そうして全部で五十三人の先生に会い教えを請う。その中には、聖人君子もいれば、漁師もいれば、悪人もいる。それぞれの立場の方から、真摯な態度で教えを請えば、全て自分のものとして身についていくという教えですね。吉川英治が「我以外皆師也=われいがい、みなしなり」と言っていますが、正にその通りだと思います。
 
歌枕:自分の心掛けしだいで、周りにいてくださる方々、あるものから多くのことを学び吸収できることがあるということですね。
 
■心は工みな画師である
 
北河原:そういえば歌枕さんには、僕の初めての書展でもピアノを弾いていただいた。(笑)
 
歌枕:大変光栄なことです。でも、昔のことははずかしいですね。今なら、もっといろんな演出ができるのですが。(笑)
 
北河原:こういう職業をしていますと(笑)、字が上手で、話が上手でと思われがちですが、決してそんなことはない。僕の場合は趣味でおもしろいからやっています。
 
歌枕:絵はお描きにならないのですか。
 
北河原:絵心がないというと、嘘になりますね。紙の上には書けないが、心の中では思い描いたとおりの絵が描ける。きっと、どんな一流の画家よりも素晴らしい絵が描けますよ。「唯心偈」というお経がありまして、その中に「心は工みな画師である」という言葉があります。
 
歌枕:私でも描けるということでしょうか(笑)。
 
北河原:人間というのは本能があるし、邪心にもとらわれる。その描き方で私達は悪にも善にもなります。先入観をもたずありのままを心の中で受けとめて、描ければよいですね。
 
■蓮の花
 
歌枕:東大寺の「お水取り」の行事は大変有名ですね。
 
北河原:「お水取り」という名前で親しまれている「二月堂修二会」は、日頃のさまざまな過ちを二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の前で懺悔する「十一面悔過」という行事です。
 
歌枕:厳しい寒さの中、北河原さんも行に入られていらっしゃいますよね。
 
北河原:今までに、20数回入りましたね。今年(2002年)は、行法全体のリーダーとなる大導師を勤めました。
 
歌枕:はじめて練行衆に選ばれた時はどんな思いでいらしたのでしょう?
 
北河原:選ばれることは、大変光栄なことです。練行衆は、2月28日か29日の深夜に起きて、和上より授戒を受ける。そして、本堂に入る。それから1年間燃え続けている灯明をこの開白の時だけいったん消して、火打ち石で灯をともし新たに1年をはじめる。真っ暗な中、ご本尊を中心に小走りで回る。はじめて内々陣に入った時は感動しました。
 
歌枕:ところで蓮の花を30年近く育てられているとか。
 
北河原:蓮の花は泥の中で育ってくるにもかかわらず、それに染まらず高貴な香しい花を咲かせる。我々の人生、ヘドロうずまく世の中に生きていて、それに染まらず生きて行かないといけないというのを言ってくれてるのかなと思います。
 
歌枕:いいお話ですね。
 
北河原:歌枕さんの歌は、とても熟成されてきた。これからも周りに染まらず、いろいろな事に挑戦しながら自分の世界を極めて下さい。
 
歌枕:私が道を歩いてきたことが、今日は誇りに思えてきました。(笑)
心新たな年の始めにふさわしいお話を、ありがとうございました。
 

北河原 公敬 (きたがわら こうけい)

昭和43年龍谷大学大学院(国史学)修士課程修了

昭和43年上院詰

昭和44年東大寺学園定時制出向(~47.3)

昭和44年勧学院詰

昭和46年勧学院副院長:総持院住職就任に伴う

昭和46年惣持院住職就任

昭和47・50年上院副主任

昭和53年大佛殿副主任

昭和56・59年東大寺福祉事業団常任理事

昭和62年寺務所録事

昭和62年中性院住職就任

平成2年東大寺学園常任理事

平成5年大佛殿副主任

平成8・12年華厳宗庶務部長・東大寺庶務執事

平成11年華厳宗教学部長・東大寺教学執事・兼東大寺図書館長