歌枕直美 友の会

うたまくら草子
歌枕直美の心から語りたい
vol.93 造田哲也

 
 
天香山神社・畝尾坐健土安神社の宮司として埴採神事を行なっている造田宮司にお話を伺いました。
 
 
 

正しく畏れる
 
歌枕直美(以下、歌枕):ここ天香山神社で、「神武天皇と香具山の土」を奉納演奏させていただき、ありがとうございます。
 
造田哲也(以下、造田):大変素晴らしいものを拝聴させていただきました。
 
歌枕:今年の1月にやまとうたコンサートの作品としてこの物語が完成し、その後、畝尾坐健土安神社を訪れました。
 
造田:これも埴のご縁ですね。古事記・日本書紀に記された神武東征にまつわる、当社の埴採神事をまさしく物語にしていただき、共鳴しております。
 
歌枕:ありがたいお言葉です。もともと神職の家系にお生まれになったのですか。
 
造田:父は商社に勤めており、全国を転勤していました。
 
歌枕:その時の印象的なお話はありますか。
 
造田:私が小学1年生から2年生の頃、父が単身赴任で沖縄勤務となり、夏休みと冬休みには沖縄を訪れていました。古い琉球の気配が残っている中、近くの公園内の御嶽でおばあさんが白い着物を着て何かを祈っていたことを鮮明に覚えています。
 
歌枕:今にして思えば、そこからすべてが繋がっているのですね。
 
造田:子供ながらに御嶽に引き寄せられるように、祭祀の様子をじっと見ておりました。当時は、神の道にお仕えする事になるとは思いもしておりませんでしたが、この頃から既にご神縁があったのか当然のこととして
歌枕:その体験が元になって、このように神職としてだけでなく、氏子の皆様とも協力されて、埴採神事を行なわれていることは素晴らしいことです。
 
造田:ここ香具山は天から天降りついた山で、山中には多くの磐座が鎮座しており、天上界に最も近い特別な山として古代より信仰され、護られてきました。古事記・日本書紀・万葉集には我が国の発祥に、また祭祀や卜定に関わる聖なる神山として記されており、香具山をはじめ、その周囲には古い神社が多く鎮座され、信仰されています。
 
歌枕:大和三山の中でも香具山だけ「天の香具山」といわれており、直感で特別な場所だと感じていました
 
造田:一説によると、平城京の造営は香具山の位置を意識して作られているそうです。「天の香具山」と言われている通り、特別な場所ではありますが、それが当然のことであることで、あまり書き記されていなかったのだと言われています。
 
歌枕:それほどまでに当然のこととして尊い場所であったというのは、この地の気配を感じるとわかります。
 
造田:古代の飛鳥において、蘇我氏が仏教を、物部氏が神道を信仰し、両者に争いが起きました。その際に蘇我氏の寺院をを物部氏が焼き払ったのですが、その寺院の仏様が逃げ出されて、天の香具山に避難なされたそうです。これは香具山の麓辺の下八釣町の氏神である畝尾坐健土安神社のお隣の興福寺の寺伝として、今に伝わっています。
 
歌枕:仏様も安寧を求めて、天の香具山に逃げ込まれたのですね。また仏様と香具山も古代から関わっていたのですね。
 
造田:そして太古の信仰の営みが、今に続いていると思います。儀式という形に潜む純粋な心を忘れてはいけません。
 
歌枕:現代では目に見えるものだけを信じられ過ぎているところもありますが、こうやって八百万の神々の気配を大事に、信仰されることが原始的な信仰にも繋がると感じます。
 
造田:往古の昔から敬われている物事を正しく畏れ敬うことは、現代の私たちが忘れている大事なことだと感じます。
 
 
埴取神事
  
歌枕:51日には、埴採神事を行なわれましたが、どのような神事なのでしょうか。
 
造田:この埴採神事の云われは、昭和15年の皇紀2600年の佳節に、橿原神宮で行われた紀元2600年奉祝紀元節大祭が挙行されるに際し、神話に記された神武東征の際、神武天皇が夢のお告げに従い、大和の「物実」とされる天香山の埴を用いて祭器を作り、八百万の神を祀られた故事に則り、当時の旧香久山村を挙げて、昭和14年にこれを一連の神事として再現し、実際に埴を採取し赤膚焼にて祭器をあつらえ、橿原神宮へ奉納されたことにあります。
 
歌枕:その昭和14年の埴採神事の石碑などは、この香具山の地に残されているのでしょうか。
 
造田:その神事は赤埴山の頂上に臨時の祭場を設けて祭祀が行われ、昭和15年に、その場所へ記念の「埴安聖地」の大きな石柱が建てられ、その道も整備され道標の石柱が六本、また「白埴聖地」「赤埴聖地」の石碑も建立されました。
 
歌枕:その後、顕彰されていったのでしょうか。
 
造田:それが残念ながら、終戦後は世情も変わり、誰も目を向けなくなってしまいました。
 
歌枕:全国で行われた紀元2600年の様々な事業が、そのようなことになったのではないかと感じます。
 
造田:その後、農作業の邪魔になるからと石碑が移動されてしまったり、草むらの中に苔むして、何が書いてあるかわからなくなってしまいました。
 
歌枕:埴の聖地が荒れてしまったことに心が痛みます。
 
造田:令和の御代替わりを迎え、世の中も変わり、この荒れた状態をなんとかしたい、整備したいと氏子の皆さんへご相談致しましたところ、次々とご協力ご奉賛を頂き、令和元年の佳節に天香山埴焼奉製会が発足し、昭和14年に行われた一連の埴採神事に習い、神事を斎行することができました。
 
歌枕:そこから今年令和8年まで継続され、本当に素晴らしいことです。
 
造田:もしかしたら令和元年のみで終わっていたかもしれませんが、この埴採神事を新聞で取り上げていただき、その記事をお読みになられた橿原神宮の久保田宮司様からお話をいただき、「作った祭器をぜひ、橿原神宮へ毎年奉納してください」との有難いお声を頂戴しました。
 
歌枕:神事を継続する大きなきっかけですね。
 
造田:この神事を毎年このように継続できましたことは、地元氏子の皆様をはじめ、ご崇敬の皆様、橿原神宮様のお力添えの賜物と深く感謝申し上げております。
 
歌枕:これも神様からの思し召しですね。
 
 
波波迦の木
 
歌枕:波波迦の木をはじめて拝見致しました。この木は皇室ともゆかりが深いそうですね。
 
造田:天皇陛下がご即位される際に行われる大嘗祭にお供えするお米を育てる神饌田の場所を占いで定めるのですが、その占い「亀」にて海亀の甲羅を灼くために用いられました。
 
歌枕:東京の皇居で行われる祭祀に、天香山神社の波波迦の木が用いられていることに驚きました。
 
造田:宮内庁掌典職より橿原神宮様を通して天香山神社へご依頼をいただき、前回の平成の御代替わりに引続き、令和の御代替わりも同様にお届けいたしました。天香山神社の御祭神は占いの神である櫛真神を祀り、南浦町の氏神であります。
 
歌枕:波波迦の木をお届けするまでには手順があるのでしょうか。
 
造田:宮内庁より見本を頂戴し、波波迦の木を切り、さらに指定の長さに切り、木を乾燥させました。
 
歌枕:波波迦の木を皇居までお届けになられたのですか。
 
造田:天香山神社より25本、生駒大社より25本を、宮内庁よりお送りいただきました見本に従いご用意のうえ、平成31328日に橿原神宮の久保田宮司様と、生駒大社の谷野宮司様とご一緒に皇居宮中三殿へお届け申し上げました。
 
歌枕:古代からの大和朝廷の慣わしが続いているのですね。
 
造田:皇居が東京へ遷りましても、我が国発祥の地である大和の波波迦の木が使われ、いにしえの姿を再現なさることに、大変深い意義があると存じます。
 
歌枕:大変貴重なお話です。
 
造田:歌枕さんは古事記や万葉集など、言葉に魂が宿っているものをこのように現代に再生し、表現されていることが誠に素晴らしいことです。
 
歌枕:有難いお言葉です。
 
造田:このような言霊と新古の音楽と合わせて、表現されていることに敬服いたします。
 
歌枕:ありがとうございます。今年の1月に畝尾坐健土安神社へ訪れた際に、扁額を見て何かを感じ、本日このようなご縁となり、とても嬉しいことです。
 
造田:あの扁額を書く際には、天の香具山にまつわる神代から現在に至る様々な事象と、言葉に尽くしがたい何かを感じつつ、思いを込めて揮毫させて頂きました。
 
歌枕:純粋な熱い気持ちが目には見えなくても、扁額から伝わってきたのだと思います。
 
造田:神社祭祀を通して、「天の香具山」を正しく顕彰し、後世へ継承して行くことが信念の拠り所であり、この地の氏子の皆様をはじめ、全ての御崇敬の方々、関係各位のお力添えを賜っております事に深く感謝申し上げる次第です。
 
歌枕:本日は香具山の貴重なお話が伺え、「天の香具山」を肌で感じることができました。ありがとうございました。

造田哲也(そうだてつや)

皇学館大学神道学科卒業

石切剣箭神社奉職後、住吉大社、丹生川上神社下社を経て、平成25年天香山神社宮司を拝命(橿原市香久山地区鎮座十二社の宮司を兼任)、大阪市西区保護司会所属