歌枕直美 友の会

うたまくら草子
歌枕直美の心から語りたい
vol.92 篠原資明

 
 
哲学者・詩人・評論家・作家、またさまざまな角度で現代アートを創作されている篠原先生にお話を伺いました。
 
 

導かれた運命
 
歌枕直美(以下、歌枕):長年にわたり、奥様の紀代子さんが応援くださり、ありがとうございます。
 
篠原資明(以下、篠原):妻は歌枕さんの歌が好きで、彼女のお母さんのお葬式で「子をおもう歌」を歌いました。
 
歌枕:大切に思ってくださり、本当に嬉しいことです。また今回、紀代子さんのご縁で篠原先生にお話を伺えることになり、嬉しく思います。ご専門の哲学・美学はいつ頃から、志していらしたのでしょうか。
 
篠原:実は子供の頃はプロレスラーになりたいと思っていましたが、小学生の時に湯川秀樹の「旅人」という自伝を読んだ際に、湯川秀樹の父・
(*注1)小川琢治が素晴らしく、はじめは地質学者に憧れました。
 
歌枕:着眼点が興味深いですね。
 
篠原:その後、万博を控えていたとき、建築に興味を持ちましたが、人気の専攻で倍率が高く、確実に京都大学に合格するために、倍率が低かった工学部機械学科で入学しました。
 
歌枕:そこから転学部されたということしょうか。
 
篠原:京大は大学では珍しく、転学部を比較的しやすい大学で、二十歳ぐらいの時に文学部に転じました。
 
歌枕:激動の時代に学生生活を送られたのですね。そこから研究者になられたのですか。
 
篠原:学部生五年、院生五年を経て、研究室の助手として働き始めました。当時、国立大学の教員は国家公務員でした。
 
歌枕:他の大学でも教鞭を持たれたのでしょうか。
 
篠原:研究室の助手は二名なのですが、四年弱勤めたある日、助手の席のまま留学に行っていた一つ上の先輩が戻ってきて、押し出されるかたちでクビになりました。
 
歌枕:それは大変なことですね。
 
篠原:ところがクビになった翌日、学会の帰りに電車を待ってベンチに座っていたところ、大阪芸大に勤めている知り合いの先生にお会いし、事情を話すとぜひ常勤講師として来てほしいとお声をかけていただき、それから約五年間、大阪芸大で勤めました。
 
歌枕:運命の出会いですね。
 
篠原:その後、東京芸大にお声を掛けていただき、単身赴任で約五年間、勤めました。
 
歌枕:東京の生活はいかがだったでしょうか。
 
篠原:東京の街は展覧会やコンサートなどの誘惑が多くて大変でした(笑)。
 
歌枕:その後、再び京大に戻られていますが、東京芸大と京大の学生さんの違いはありましたでしょうか。
 
篠原:芸大生は卒業後どのように食べていくかを考えておらず、京大生は卒業後にどこに就職するかを考えていて、大学で学んだことと違う分野で就職する人も多かったです。
 
歌枕:非常に象徴的ですね。
 
篠原:また芸大の学生とは和気藹々とまるで家族のような付き合いでした。(*注2)村上隆くんは研究室が違いましたが、博士課程の彼の論文などの面倒をみていて、彼から「攻殻機動隊」の漫画を借りたりもしていました(笑)。
 
歌枕:とても人間関係が近かったのですね。
 
篠原2023年にはのイベントで、(*注3)国立国際美術館のイベントで、村上君と特別対談をしたりもしました。
 
美と芸術
  
歌枕:現代アートに関しては、美術評論家もされていますが、印象に残っている作家や作品はありますか。
 
篠原:フランスのニースに近現代美術館があるのですが、そこは(*注4)イヴ・クラインというフランスの現代アーティストをメインにした美術館で、彼は地中海のブルーを自分の色にした人です。
 
歌枕:初めて知りました。
 
篠原:学生時代に京都にイヴ・クラインの作品が来たことがあるのですが、一番衝撃を受けました。
 
歌枕:とても印象的な青色ですね。
 
篠原:彼の作品はモノクロームブルーで(*注5)IBKという特許も取っている青色です。またスペインのビルバオには世界一大きな絵として、彼の青をプールに入れた作品もあります。
 
歌枕:ほかに印象に残った、影響のあった方はありますか。
 
篠原:アメリカ人の(*注6)エズラ・パウンド とフランス人の(*注7)
ステファヌ・マラルメは詩人として大きな影響を与えてくれました。
 
歌枕:エズラ・パウンドとはどのような方ですか。
 
篠原:彼の詩集は少し異様で、漢字が所々に出て来るので、それと英語の解説書のようなものがあれば、私たち日本人でも原文で読めるようなものですが、そのような変わった詩集を出していました。
 
歌枕:「美学」も研究されていますが、どのようなものなのでしょうか。
 
篠原:「美学」という言葉は、十八世紀で初めて使われますが、その歴史は
(*注8)プラトン まで遡ります。
 
歌枕:源流はそこまで古い歴史なのですね。
 
篠原:「哲学=美そのものを探求する学問」とプラトンが提唱しており、そのため哲学は「美」から始めないといけないと言っています。
 
歌枕:シンプルな考えですね。
 
篠原:ところが近代になるとだんだんと「美」と「芸術」はいっしょになってきました。それは明治時代にフランスから芸術という言葉『ボザール』という言葉が入ってきたときに、『ボ』美しい、『アール』芸術を直訳して、あらゆる芸術ジャンルが美術となりました。
 
歌枕:それまで美術という言葉はなかったのですね。
 
篠原:その後、むやみやたらに造語するのはよくないとして、もともとあった芸術という言葉になり、だんだんと美と芸術は一緒になってきました。
 
まぶさびの
歌枕:空海の夢を見たことがあるそうですね。
 
篠原:これまでに三回、空海の夢を見たことがあり、一回目の時は、ちょうどなかなか書けなかった原稿が、その夢を見たあとで一気に書けました。
 
歌枕:神がかりなことですね。
 
篠原:そこから「まぶしさ」と「さびしさ」を掛け合わせた『まぶさび』という造語が生まれました。
 
歌枕:空海のことを深く知って、印象は変わりましたか。
 
篠原:学生時代にインド美術に興味を持ったことがあり、そこから空海のことを知ろうとしたこともありますが、漢字の林でとても読めたものではなく、「天才しかわからないもの」と思っていました。
 
歌枕:ところが夢によって導かれたのですね。「まぶさび」には、三島由紀夫のエッセンスも入っているとお聞きしました。
 
篠原:三島由紀夫の作品はほとんど読みました。
 
歌枕:どのような点が魅力でしょうか。
 
篠原:三島由紀夫にしか書けない文体の力、スタイルがあると思います。
 
歌枕:どのようなところが印象に残っているのでしょうか。
 
篠原:滝が好きなのですが、「豊饒の海」で輪廻の象徴として、滝の場面が出てきます。また生まれ変わりの印として脇の下のほくろも印象的でした。
 
歌枕:三島作品は本当に奥深いですね。
 
篠原:歌枕さんも万葉集や古事記に残された和歌を西洋の音楽と融合させる新しいことをされていて、本当に素晴らしいと思います。
 
歌枕:ありがとうございます。今回、非常に知的欲求の高いお話がお聞きでき、とても楽しかったです。ここまで注釈の多い対談は初めてです(笑)。奥様の紀代子さんにもどうぞよろしくお伝えください。
 
篠原:これからも夫婦二人で一つと思い、共に歩んでいきます。
 
歌枕:今回は貴重なお時間ありがとうございました。
 
 
 
(注1)「地質学者・地理学者。京都帝国大学理学部地質鉱物学科の初代主任教授。
 
(注2)アーティスト、キュレーター、コレクター、映画監督、有限会社カイカイキキ創業者。一九九三年東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。博士論文は同大日本画科初の博士号取得者となった。
 
(注3)大阪市北区中之島の水辺に位置する世界でも珍しい「完全地下型」美術館。収蔵品は第二次世界大戦以後の国内外の現代美術が中心だが、現代美術以外の企画展なども開催している。
 
(注4)単色の作品を制作するモノクロニズムを代表するフランスの画家。三十四歳で急死し、アーティストとしての活動は晩年のごく数年であった。
 
(注5)「インターナショナル・クライン・ブルー」()と呼ばれる深い青色。宇宙の神秘的なエネルギーに通じる最も非物質的で抽象的な色だとして重用し、自ら理想的な顔料を開発し、特許を取得した。
 
(注6)アメリカ合衆国の詩人、批評家であり、二十世紀初頭の詩におけるモダニズム運動の中心的人物の一人。
 
(注7)十九世紀後半のフランスを代表する象徴派の詩人。その詩は非常に難解であることで知られ、言葉の表象不可能性や、現実には存在しない「彼方に輝く」ものを詩的言語で表現しようと追求した。
 
(注8)前5世紀から前4世紀、古典期ギリシアを代表するアテネの哲学者。ソクラテスの弟子で「西洋哲学の祖」と称される。イデア論などの認識に達し、理想的国家のあり方を国家論で展開した。

篠原資明(しのはらもとあき)

京都大学大学院(博士課程)修了、東京藝術大学専任講師、京都大学大学院教授、美学会会長、高松市美術館館長などを経て、現在、京都大学名誉教授。著書に、『漂流思考』、『トランスアート装置』、『トランスエステティーク』、『五感の芸術論』、『まぶさび記』、『ドゥルーズ』、『エーコ』、『ベルクソン』、『空海と日本思想』、『差異の王国』、『まず美にたずねよ』、『あいだ哲学者は語る』など。