歌枕直美 友の会

うたまくら草子
歌枕直美の心から語りたい
vol.88 後藤俊彦

 
 
神話の里、天孫降臨の地として知られ、垂仁天皇の時代に創建された、高千穂88社の総社として鎮座する高千穂神社の後藤宮司にお話を伺いました。
 
 

自分史
 
歌枕直美(以下、歌枕):先程はご奉納演奏をさせていただき、また祝詞もあげてくださり、ありがとうございました。
 
後藤俊彦(以下、後藤):古事記の世界を本当に素晴らしい歌声で歌われていて、心に澄み渡りました。
 
歌枕:ありがとうございます。先程、社務所で後藤宮司が書かれた本を購入し、簡単にですが読ませていただきました。
 
後藤:70歳の時に宮崎新聞で自分の人生を振り返り、自分史を書く機会があり、110回分の連載をまとめたものです。
 
歌枕:神職をされる前は、議員秘書をされていたようですが、何かきっかけがあったのでしょうか。
 
後藤:大学の就職時期に宮崎出身の参議院の先生にお声をかけてくださり、先生の部屋へ行かせていただいた際にとても良い本が多くあり、こういう方は良いなと思い、東京で議員秘書をすることになりました。
 
歌枕:そこから何故、神職の道へと歩まれたのでしょうか。
 
後藤:五年程、議員秘書を務めましたが、自分の心がまだしっかりとできていなかったため、辞めることを決めました。その当時なので、次の良い就職先を紹介していただいたのですが、地元の高千穂神社を守る人がおらず、学校の校長先生を退職された方が一時的に宮司を務めている状態で、これでは良くならないとのことで、若い方に長く務めていただきたいと私に声がかかりました。
 
歌枕:それは天命だったのでしょうか。
 
後藤:天命というより自分には理想的な場所でした。
 
歌枕:それはどういったところでしょうか。
 
後藤:当時の社務所は築200年で、普通の家でもここまで古い家は周辺でもなく、至る所に隙間があり、雪が降れば枕元に白く雪が積もり、ある時、大雨が降った翌朝、目が覚めると屋根が飛んで、空の雲が流れているのが見えました(笑)。
 
歌枕:すごい状況ですね。
 
後藤:しかし、そういうところが楽しく、とにかくできることを精一杯しました。この時、観光バスは天岩戸神社には行くけれども、高千穂神社には観光バスは観光パスしていました(笑)。
 
歌枕:まだ今のように多くの方が参拝に来られる前の状況だったのですね。
 
後藤:これではいけないと、とにかく、神職の勉強をし、朝から晩まで掃除をしたり、できることをしました。また参拝客から尋ねられて、答えきれない時には調べて、お手紙でお伝えしたりと、そうするうちに自然と人との繋がりが増えていき、高千穂神社に来てから十年で抜本的に改革をできました。
 
歌枕:本当に素晴らしいことです。
 
後藤:これは子供の頃に描いた自分の人生の筋書き通りで、若い時には少し苦労しながら一生懸命にやり、将来は世間のために喜んでもらいたいという考え通りの道を歩めて幸せだなと思いました。
 
歌枕:その後はどうなっていたのでしょうか。
 
後藤:神職は代々神職の仕事を継いでいる社家が5~6割ですが、私は社家とは関係ない全く一般の家の出身なので、一般の方と同じ目線でものを見ることができました。社家の人には当たり前でも、一般の方ではそうではないことも全て考えてお伝えすることができました。
 
歌枕:とても大切なことですね。
 
後藤:こういうことを通して、自分自身も多く学ばせてもらいました。
 
神楽
 
歌枕:神楽には以前から興味があり、昨日、高千穂神社の神楽殿で開催されている神楽を初めて拝見させていただきました。
 
後藤
高千穂では地域の人のために、消防団など役に立てる仕事に就くのですが、だんだんと神楽の担い手が少なくなってき、私が高千穂に戻ってきた頃には、神楽はもう自分たちの代で終わってしまうと考えていました。
 
歌枕:担い手の問題は大きなことです。
 
後藤:これまで長男は家に残り、家を継ぐものでしたが、当時、若い労働力は都会へ出ていきました。ところが、そんな時にフランスの国立歌劇場から神楽の上演をしていただきたいとご連絡をいただきました。
 
歌枕:大きな公演事業ですね。準備段階で大変なこともあったのではないでしょうか。
 
後藤:政教分離の原則があるため、国や県を頼ることができませんでした。そこで必要な資金などは全部自分で準備をやろうと、助成金を頼りましたが、それと同額の金額がまだ必要でした。それを公演までの一年で必死に集め、ギリギリのところで国際交流基金からも助成金がおり、なんとか公演できるようになりました。
 
歌枕:実際にヨーロッパでの神楽の公演はいかがでしたでしょうか。
 
後藤:キリスト教国に神楽を理解していただけるか不安だったのですが、ヨーロッパでは、とても人気で、特にオランダは第二次世界大戦で植民地を失っているので、外交官から言わせると反日感情が非常に高く、食わず嫌いなところもあるので難しいのではとのことだったのですが、とても盛況で補助席を出してもまだお客様は入ってくる状況でした。
 
歌枕:文化は政治的な関係をも越えることができるのですね。
 
後藤:公演が終わると会場は総立ちで「ビューティフォー!」とスタンディングオベーションになり、帰りのバスを追いかけてくる人もいるくらいでした。
 
歌枕:それほど神楽の美しさや、感動が伝わったということですね。どのくらいの期間、公演へ行かれていたのでしょうか。
 
後藤:1ヶ月で4ヶ国・11の都市へ行きました。神楽の出演者はほとんどが農家の大黒柱で、公演時期が農家の一番大切な5月の田植えの時期でした。
 
歌枕:大変な時期の公演だったと思いますが、とても大きな意味がありましたね。
 
後藤:そののちの話ですが、アイルランドの大使がご参拝くださり、神楽を見ていただいたのですが、日本の歴史にも詳しかったためお聞きしたところ、「それは当たり前です。私は政治家である前に詩人であり、歴史家です。」とおっしゃいました。
 
歌枕:深い言葉です。
 
後藤:アイルランドはキリスト教のカトリックの国ではありますが、それ以前にケルトの文化と歴史をもっていて、母親がケルトの神話を語ってくれ、アイルランドのアイデンティティはキリスト教だけでなく、それ以前のケルト文化を継承していることが誇りであるとおっしゃいました。
 
歌枕:ケルトの神話や文化にも日本の文化や神道にも似たところがあるのですね。その後、神楽の継承者は増えたのでしょうか。
 
後藤:海外で神楽が上演されると、共同通信社やNHKから取材を受け、全国的に知られることになりました。ちょうどそんな時、Uターン現象といい、都会に出た若者たちが都会に見切りをつけて、故郷に帰ってくる現象が起きました。
 
歌枕:一度、都会に出たからこそ、気付けることもあったのではないでしょうか。
 
後藤:自分の地元にはこんな素晴らしいものがあるんだ、と神楽を継承してくる人が増えました。
 
歌枕:大きく息を吹き返したのですね。
 
後藤:今は少子高齢化が大変な問題ですが、まだこの地域は比較的マシなほうです。小さな頃から興味をもってやってきた子たちが大きくなり、今では素晴らしい舞を舞うようになり、次へと繋がっています。
 
 
神宮式年還宮
 
歌枕:伊勢神宮の式年遷宮にもご奉仕されたことがあるとのことですが、印象的なことはありましたでしょうか。
 
後藤:全国六ブロックに分かれ、九州代表としてご奉仕させていただきました。午後六時に斎館を出発し、午後八時後頃に「カケコーカケコー」という鶏の声の合図が入り、天照大御神様の御神霊が古い御神殿から新しい御神殿へと移ります。
 
歌枕:「カケコーカケコー」は何かの象徴でしょうか。
 
後藤:天岩戸が開いて、朝を迎えるという意味があります。
 
歌枕:とても象徴的ですね。
 
後藤:この時に空を見ると、流れ星が低いところで通り、古い御神殿から新しい御神殿へと御神霊が移られたのだと感じました。
 
歌枕:非常に神秘的ですね。
 
後藤:灯り一つなかったのですが、新しい御神殿の方から月が昇り、道を薄い月の光で照らされました。
 
歌枕:1300年という長い年月の中、培われた自然と融合した儀式ですね。
 
後藤:歌枕さんは1300年前からの万葉集を歌われていますが、今回、歌を聞かせていただいて、女性の力強さ、凛とした美しさを感じました。
 
歌枕:これらの和歌には、詠まれた方の言霊が宿っていると思います。
 
後藤:万葉集には「美」だけでなく、「勇」も両方あり、このような古典を親しんで体験することが大事だと思います。
 
歌枕:これからも先人たちが込めた思いを伝えていきたいと思います。
 
後藤:次回はぜひ、物語になった舞台も拝見したいと思います。
 
歌枕:天孫降臨の地でぜひ、公演できればと思います。今回は素晴らしいお話をありがとうございました。
 
 
 

後藤 俊彦(ごとうとしひこ)

昭和20年宮崎県高千穂町生まれ。昭和43年九州産業大学商学部卒業後、参議院議員秘書となる。國學院大學神道学専攻科並びに日本大学今泉研究所を卒業し、昭和56年高千穂神社禰宜を経て宮司に就任。同神社に伝わる国指定重要無形民俗文化財「高千穂夜神楽」のヨーロッパ公演を2度にわたって実現。昭和62年神道文化奨励賞受賞。神道政治連盟副会長、高千穂町観光協会会長などを歴任。令和3年神社本庁より神社界最高位の「長老」を授与される。